富山鹿島町教会

礼拝説教

「ダビデの即位」
サムエル記下 第2章1〜第3章1節
マタイによる福音書 第1章1〜17節

 月の終わりの主の日には、旧約聖書サムエル記よりみ言葉に聞いております。サムエル記は、イスラエルの民が、ゆるやかな部族連合体から、王国になっていった経緯を語っているということは繰り返し申してきました。先月から、その下巻に入っているわけですが、これまで読んできた上巻のあらすじをふりかえってみたいと思います。まず、サムエルという預言者あるいは最後の士師とも言うべき人が神様によって立てられたことが語られていました。そしてイスラエルの民はサムエルに、自分たちを治め、戦いを導いてくれる王を選んでくれるよう求めました。サムエルは、イスラエルは主なる神様が王として治められる国なのだから、人間の王を立てることは神様をないがしろにすることになると諭します。しかし人々はどうしても王が欲しいと言います。そこで主なる神様は人々の願いを聞き入れて、サムエルに命じ、サウルという人を立ててイスラエルの最初の王とします。しかしサウルは、次第に、神様のみ言葉に従うのではなく、自分の思いで行動するようになり、神様に見捨てられていきます。神様が新しい王としてお立てになり、油を注がれたのが、少年ダビデでした。ダビデは神様の祝福と守りによって、イスラエル軍の中でめきめきと頭角を現し、サウルの娘ミカルと結婚して王の一族ともなり、人々の尊敬を集めるようになりました。しかしサウルはそのダビデを、自分の王位を脅かす者として恐れるようになり、殺そうとします。ダビデはサウルのもとを逃れ、荒れ野で、自分に従ってくる私兵たちの頭領となり、イスラエルの敵であるペリシテの王の傭兵隊長になったりもします。その間に、ペリシテとイスラエルの戦いにおいて、サウル王は戦死します。そこまでが上巻に語られていました。

 下巻に入ると、いよいよダビデが、サウルに代わってイスラエルの第二代の王になり、国を治めていくことが語られていきます。このダビデのもとで、イスラエル王国の基礎は固まり、繁栄していくのです。サウルの王国は一代限りで終ってしまいましたが、ダビデ王朝は代々続いていき、ダビデ家こそイスラエルの王の家系ということが定着していきます。そしてこのダビデの子孫に、神の民イスラエルの救い主が生まれるという預言がなされ、その成就として、主イエス・キリストがお生まれになったのです。本日共に読まれた新約聖書の箇所、マタイによる福音書の冒頭のところの主イエスの系図は、民族の父アブラハムから、ダビデを経て、主イエスに至る系図です。神様の救いの歴史において、ダビデはこのように欠くことのできない大切な節目となった人物なのです。そのダビデがいよいよ王となる、そのことを私たちは本日読んでいくのです。

 ところで、先ほどは2章の始めから3章1節までが朗読されました。そして本日の説教の題は「ダビデの即位」です。それだけを読むと、この第2章に、サウル亡き後ダビデがイスラエルの王として即位したということが語られていると思われてしまうかもしれませんが、そうではありません。2章4節に、ダビデが王となったことが語られていますが、これは注意深く読むと、ユダ族の人々がダビデをユダ族の王とした、ということであって、イスラエル全体の王になったということではないのです。つまりダビデは、サウルの死後、自分の出身部族であるユダ族の王として、1節にあるヘブロンで即位したのです。ヘブロンに上ることも主なる神様の託宣、示しによることだったというのが1節です。ダビデはこの時、1章1節にあるように、ツィクラグという所に居を構えていたのです。それは、ペリシテ人の王によって与えられた町でした。ダビデは今ペリシテの軍勢の一人の将軍という立場にあるのです。しかしイスラエルとの戦いには加わっていませんでした。だからサウルが戦死したその戦いに敵方として加わり、同胞と戦うことはしないですみました。その戦いでイスラエルが破れた後、出身部族であるユダの町へ上ることは、今後、イスラエルの民の一員として歩むという意志表示です。しかしそれはユダの人々に。さらにはイスラエルの人々に受け入れられるだろうか、ダビデの思いは不安でいっぱいだったでしょう。そこで彼はこのことについての主なる神様の託宣を求め、ユダへ上れ、さらにはヘブロンへという具体的な示しを与えられたのです。

 ヘブロンへ、と神様がお示しになったことには深い意味があります。ヘブロンは、イスラエルの民の最初の先祖であるアブラハムが、妻サラの死に際して、その墓地とするための土地を得たところです。それが、アブラハムがこのカナンの地で最初に得た土地でした。神様が、あなたとあなたの子孫にこの地を与えると約束して下さったその約束が実現し始めた記念の地なのです。そこに上れと神様はダビデにお示しになりました。ダビデも、もうずいぶん前に、サムエルによって油を注がれ、あなたをイスラエルの王とするという神様の約束を受けていました。しかしその約束はなかなか実現しませんでした。サウルは依然として王であり、ダビデはサウルに追われてイスラエルの中におることもできないような状態だったのです。それが今、サウルが死に、再びイスラエルに戻ることができるようになった、その最初の一歩をヘブロンに記すことは、ダビデにとって、自らの歩みをアブラハムの歩みと重ね合わせるような、希望を与えられる出来事だったでしょう。

 そのヘブロンで、ダビデはユダ族の人々によって、その王として立てられます。しかしそれはあくまでもユダ族のみの王、部族の長ということでした。8、9節にはこうあります。「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした」。マハナイムというのは、聖書の後ろの付録の地図4「統一王国時代」というのを見ていただくとわかるように、ヨルダン川の東側、ギレアドの地にあります。ペリシテに破れてヨルダンの東まで逃げてきたイスラエル軍によって、サウルの遺児イシュ・ボシェトが王として立てられたのです。このようにして、イスラエルに、イシュ・ボシェトとダビデという二人の王が立てられたことになります。ユダ族の王ダビデとその他のイスラエルの王イシュ・ボシェトです。そしてこの後、二人の王の間で、全イスラエルの覇権をめぐる争いが続いていくのです。サウル王の息子という点では、イシュ・ボシェトこそ正当なサウルの後継者です。しかしダビデは歴戦の勇士であり、イスラエル全体にも人望が厚い人物です。実力から言えばサウルの後を継ぐのはダビデしかいないのです。この二人の覇権争いが長く続いたことが、3章1節に語られています。「サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった」。つまりダビデはサウルの死後、すんなりとイスラエルの王となったのではなかったのです。そこにはいろいろと紆余曲折があり、争い、戦いがあった、つまり内戦状態があった、そういうことをサムエル記は赤裸々に語っています。そしてその争い、混乱に終止符が打たれ、ダビデが全イスラエルの王として即位したのは、5章1〜5節においてなのです。そこを読んでみます。「イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。『御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。』イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した」。これが本当の意味での「ダビデの即位」です。本日は、この5章の始めまでの全体を見わたしながら、ダビデがイスラエルの王となった歩みを見ていきたいと思います。

 さて、2章8節にあったように、イシュ・ボシェトをイスラエルの王として擁立したのは、サウルの軍の司令官だったアブネルという人でした。このアブネルはサウル王のいとこでもありました。彼こそが、サウル王家の最高実力者だったのです。彼に指導されて、体制を立て直したイスラエルは、12節で、マハナイムを出て、ギブオンに向かったとあります。ギブオンというのは、サウルの出身部族ベニヤミン族の町です。ベニヤミンのギブオンを拠点とするイシュ・ボシェトと、ユダのヘブロンを拠点とするダビデとが対峙するという状態になったのです。そして両者の間で激しい戦いが起ったことが15節以下に語られています。ダビデ側の将軍にヨアブ、アビシャイ、アサエルという三兄弟がいました。アサエルはこの戦いにおいて敵の指導者アブネルを追撃しましたが、逆にアブネルによって殺されてしまいました。兄ヨアブはこのことで、アブネルに対して激しい憎しみを抱くようになります。さて3章に入ると、サウル王家において、アブネルがますます実権を握るようになり、王であるイシュ・ボシェトとも対立するようになったことが語られていきます。アブネルが、父サウルの側女だった女性と通じたことをイシュ・ボシェトが非難したのに対して、アブネルは「誰のおかげで王になったと思っているのか。私を非難するなら、あんたの王国をダビデに渡してやる」というようなことを言ったのです。アブネルがサウルの側女と通じたことには政治的な意図があったと考えられます。つまり自分がサウルの後を継ぐ者となるという意志表示です。アブネルがイシュ・ボシェトを擁立したのも、サウル家への忠誠というよりも、ゆくゆくは自分が王になろうという思惑によることだったのかもしれません。そういうアブネルですから、今度は、この王国をそのままダビデに譲り渡し、そのもとで第一人者としての地位を得ようと考えたのです。彼はダビデに使者を送り、交渉をします。3章12節「わたしと契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう」。これに対してダビデは一つ条件を出します、それは、以前自分の妻であり、しかしサウルに負われ逃亡生活にあった間に一方的に引き裂かれて他の男の妻となっていたサウルの娘ミカルを自分のもとに連れて来ることでした。ここには、アブネルに負けない、ダビデの政治的な意図があります。サウルのいとこであるアブネルが、全イスラエルを率いて自分のもとに来る、それは大いに結構だ、だがそうなると、アブネルの立場が非常に強くなり、そのうちに自分こそ正当なサウルの後継者だと言い出しかねない。その危険をダビデは察知しているのです。そこで彼は、ミカルを自分に返すことを要求します。それは、自分はサウルの婿であり、後継者たるに最もふさわしい者なのだ、ということを明らかにするためです。そういう条件でダビデは、アブネルを自分のもとに迎えようと言っているのです。つまりここには相当な政治的駆け引き、権謀術数があります。ダビデは最初の妻ミカルをいつまでも愛していたのだ、などというロマンティックな話ではないようです。

 さてアブネルはそういう交渉のためにダビデのもとに来ます。ところが帰り道で、弟アサエルを殺された恨みを抱いていたヨアブによって彼は暗殺されてしまいます。ダビデはそれを聞いて大いに怒り、悲しみ、アブネルの死を悼みました。その結果こうなったという3章37節には興味深い記述があります。「すべての兵士、そして全イスラエルはこの日、ネルの子アブネルが殺されたのは王の意図によるものではなかったことを認めた」。ダビデの怒りや嘆き、アブネルのための追悼の様子を見て、イスラエルの人々は、アブネル暗殺はダビデの命令によるのではなかったことを納得した、というのです。これは裏を返せば、「これはダビデの陰謀ではないか」という思いが多くの人の心に浮かんだということです。敵側の最高実力者アブネルを、平和的交渉のために招き、その帰りに暗殺させる、という卑劣な手段をダビデが用いたのではないか、と人々は疑ったのです。ダビデの大袈裟とも思える嘆きや追悼の様子は、そういう疑いを払拭するためになされているのです。その真相はどうであったにせよ、これでダビデにとって最大の障害となる人物がいなくなったということは確かなのです。

 アブネルを失ったイスラエル側は浮き足立ちます。そして、これはもうダビデの勝利は確定的だと見た者たちが、イシュ・ボシェトを裏切るのです。そのことが4章に語られています。イシュ・ボシェトの二人の家来が、彼を暗殺してその首をはね、ダビデのもとに持ってきます。4章8節に彼らの言葉が記されています。「二人は王に言った。『御覧ください。お命をねらっていた、王の敵サウルの子イシュ・ボシェトの首です。主は、主君、王のために、サウルとその子孫に報復されました。』」。彼らは、イシュ・ボシェトの首をダビデに献上することで、ダビデに取り入ろうとしているのです。ダビデの勝利が目に見えているので、そちらに鞍替えし、自分たちの地位を守ろうとしているのです。そのために最もよい土産、手柄として、イシュ・ボシェトを殺したのです。しかし彼らに対するダビデの答えは彼らの期待とは全く違っていました。9節以下、「ダビデはベエロト人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。『あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであった。まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか。』」。ここにも語られているように、これは、6月に読んだ第1章で、サウルの死の知らせをいち早くダビデにもたらした者に対して彼がとった態度と同じです。あの時も、あの男はサウルの死をダビデへのみやげ話として持ってきたのです。しかもこの自分がサウルの止めを刺したと自慢げに語ったのです。彼も、自分を苦しめている敵であるサウルが死ねばダビデが喜ぶだろうと思っているのです。しかしダビデは「主が油を注いで王として立てられた方に手をかけるとは何事か」と言って彼を処刑しました。このたびも、彼らのしたことに怒り、彼らを殺したのです。その後、先ほど読んだ5章になります。イスラエルの全部族が、ダビデのもとに来て、あなたこそイスラエル全体の王となるべき方ですと言ったのです。こうしてダビデは、イスラエルの王として即位したのです。

 サウルが死んでからでも、ダビデが王となるまでには、このような様々な出来事があり、時間もかかったのです。最初に彼がサムエルから油を注がれ、王として立てられた時から数えれば、おそらく二十年近くの年月が経っていたでしょう。このようにして隠忍自重の末ついにイスラエルの王となったダビデの歩みを、私たちは、「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ほととぎす」と言った徳川家康の姿と重ね合わせることができるかもしれません。木の実が熟して落ちるように、自然に天下が自分のものとなる時まで、家康は待ったのです。ダビデもそれと同じように、イスラエルの王位を自分から取りに行くのではなく、それが自然に自分のものとなるのを待ったと言うことができるでしょう。

 しかし、このダビデの歩みには、もう一本別の筋が通っています。それは今読んだ4章9節に語られていることです。「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる」。これが、ダビデの歩みを貫いているもう一本の筋です。ダビデは、ただ自分のところに王位が回ってくるのを待っていたわけではありません。その「ただ待っていたわけではない」というのは、自分でもいろいろと策動したり、積極的に働きかけてそうなるように仕向けた、という意味で言っているのではありません。そういうことなら、誰でもしています。徳川家康にしたって、何もせずにただ待っていたわけではないのです。ダビデも、本日のところで見たように、いろいろな駆け引きをしているのです。ダビデの特徴と言えることは、そのような様々な策動や働きかけ、つまり権謀術数を用いつつ、その根本のところで、「主は生きておられる」という信仰に固く立っていたということです。主は生きておられる、それは、主なる神様が今働いておられ、全てのことを導いておられ、み心を行っておられる、自分を王として立てると約束して下さったのもそのみ心によってであるし、それをどのようにして、いつ実現するかも全てこの主の導きによるのだ、ということです。つまりダビデは、自分を王として立てるのは、自分の力でも、人々の思いでもなく、主なる神様ご自身なのだ、ということをしっかりと見つめつつ歩んでいたのです。それが、ダビデの歩みを貫いているもう一本の筋です。この筋が通っているから、彼は、サウルに追われて逃亡の生活をしている中で、サウルを殺す絶好の機会を得た時にも、それをしなかったのです。またサウルの死の知らせや、イシュ・ボシェトの首を持って来た者を、よい知らせをもたらした者として歓迎しなかったのです。サウルとその王朝が退けられて、自分が王として立てられることは、そういう人間の行動や計画によるのではなくて、ただ主なる神様のみ業による、主がそのみ業が行なって下さるのを信じて待とう、というのが、ダビデの思いなのです。その点から考えると、あのアブネルの暗殺は、人々がかんぐったようにダビデがヨアブに命じてさせたことではなくて、やはりヨアブ個人の恨みによることだったと考える方がよいでしょう。ダビデはそのような手段を使って敵を取り除き、思いを遂げようとするような人ではないのです。だからこそ、後にダビデがまさにそのような罪を犯す、それはこの後の11章に語られていることですが、それが大きな問題、ダビデの生涯における最大のスキャンダルとして取り上げられるのです。

 ダビデはこのようにして、イスラエルの王となりました。このダビデの姿から、私たちは、信仰におけるいくつかの教訓を得ることができます。第一に、これはアブラハムの生涯からも教えられることですが、神様の祝福の約束が実現するまでには、長い時間と様々な紆余曲折を経なければならないということです。私たちも、主イエス・キリストによって与えられた神様の約束を信じて、そこに希望を置いて生きています。ローマの信徒への手紙の第8章18節以下に、私たちに与えられている希望のことが語られています。その18節に「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」とあります。「将来現される栄光」が私たちの希望なのです。それは19節の言葉で言えば、「神の子たちが現れること」です。それは23節の言葉とも読み合わせていくと、私たち自身が、神の子とされること、私たちの体が贖われることです。そしてそれはさらに29節においては、私たちが「御子の姿に似たものとされる」ことであると語られています。つまり私たちは、私たちのために十字架にかかって死に、復活して下さった御子主イエス・キリストと似た者となり、その復活の命にあずかり、神の子として永遠の命を生きる者とされるという約束を与えられているのです。この希望の中で、28節の、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」、という約束も与えられています。私たちが神様を信じ、主イエス・キリストを信じる者とされているのは、神様が私たちをご計画に従ってご自分のもとに召し集めて下さったからです。その恵みの内に置かれている私たちには、すべての事が益となるように共に働く、様々なつらいこと、苦しいこと、悲しいこと、自分の、また人の罪によって自ら傷つき、傷つけ合ってしまうようなこと、それらの全てをも、神様は導いて、いつか益となるようにして下さるのです。しかし、その約束は、昨日の約束がすぐに今日実現する、というようなものではありません。この約束が実現するまでには、長い時間と経緯が必要なのです。その間私たちは、様々な苦しみや悩みを体験します。神様の約束などいったいどこへいってしまったのか、と思ってしまうようなことが多々あるのです。そのような紆余曲折の中で、「主は生きておられる」という確信を貫いていくこと、それが私たちに求められている信仰であり、希望へとつながる歩みの秘訣なのです。

 第二の教訓は、それゆえに、主の約束を自分で、自分の力や工夫や策略で実現しようとするな、ということです。生きておられる主なる神様のお働きは、私たちが自分の力であれこれと忙しく働いているところでは現れて来ないのです。私たちは、自分の力や判断で事を成そうとするのではなく、本日の箇所の最初でダビデがしているように、「主に託宣を求める」、つまり生ける神様のみ言葉をこそ求め、そのみ言葉に聞き従っていくことを大切にしていくべきなのです。その時にこそ、主は「ヘブロンへ」の道を示して下さる、主の約束の実現への第一歩を踏み出させて下さるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年7月29日]

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