富山鹿島町教会

礼拝説教

「異教の民の中で」
列王記下 第5章1〜27節
コリントの信徒への手紙一 第8章1〜6節

ナアマンの癒し
 アラムの軍司令官ナアマンが、イスラエルの預言者エリシャに、重い皮膚病を癒してもらったという話が、本日与えられている列王記下第5章に語られています。エリシャは、エリヤの後継者として、北王国イスラエルで活躍した主なる神様の預言者です。アラムは、前の口語訳聖書ではスリヤとなっていました。それはイスラエルの東北にある、ダマスコを首都とする異邦人の国で、今日のシリアに当たります。アラム=シリアとイスラエルはしばしば戦いを交えている敵国ですから、ナアマンはイスラエルにとって、たびたび痛い目に合わされている敵国の司令官なのです。現に2節にはこうあります。「アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた」。ナアマン自身も、アラムの軍を率いてイスラエルに攻め込んだことがあるのです。そしてイスラエルの少女を捕虜として連れて来て、自分の妻の召し使い、つまり奴隷にしていたのです。捕虜はこの少女一人ではなかったでしょう。戦いの捕虜は奴隷として売られるというのが当時の戦争の常識です。その中でこの少女だけは、ナアマンの妻の奴隷として彼の家に留め置かれたのです。戦いの常とは言え、捕虜となった人々にとって、またこの少女にとって、それはつらく悲しい運命です。そのことを引き起こした張本人がこのナアマンなのです。その敵の司令官ナアマンが、イスラエルの神、主の預言者エリシャによって重い病気を癒されます。この癒しの奇跡は、エリシャの偉大な力を示しているというだけのものではありません。ここには、イスラエルの神の救いの恵みが、異邦人にも、イスラエルの敵に対してすらも及んでいく、ということが描かれているのです。旧約聖書は、神様に選ばれた民イスラエルの歩みを語っており、イスラエルの民のみの救いを語っていると思われがちですが、旧約聖書の随所に、異邦人の救い、異邦人にも主なる神様の恵みが注がれていくということが語られているのです。本日の箇所もその代表的な所と言えます。

奴隷の少女
 さてこのナアマンの重い皮膚病の癒しはどのようにして起っていったのでしょうか。事は、先程のあの捕虜となり、奴隷とされた少女から始まったのです。彼女が主人であるナアマンの妻に、「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに」と言ったのです。サマリアの預言者、それはエリシャのことです。彼女は、故郷イスラエルにおけるエリシャの預言者としてのすばらしい力を知っているのです。彼のところへ行けば、女主人の夫の重い皮膚病もたちまち癒されるに違いないと思い、そう語ったのです。この、名もない、故郷から拉致され、奴隷とされた、大変つらい悲しい境遇にある一人の少女の言葉から、この癒しの物語が始まります。彼女には、奴隷とされて仕えている女主人の夫の病気のことなど、心配する義理はありません。奴隷の分際で差し出たことを言うなと叱られてしまうかもしれないのです。ましてや、ナアマンは自分たちを捕え、奴隷にした張本人です。病気で苦しむならかえっていい気味だと思っても不思議はないのです。彼女がもし、自分の置かれた現実、境遇をただ悲しみ嘆くばかりで、自分たちを捕え、奴隷にした敵である人々に対して固く心を閉ざし、黙って、ふて腐れて、命じられたことだけをしていたならば、このような言葉は出て来なかったでしょうし、この癒しの出来事はなかったのです。しかし彼女のこの一言のゆえに、この後語られているように、アラムの軍司令官ナアマンが主なる神様の救いにあずかり、主を信じる者となるという大いなる恵みの出来事が起ったのです。彼女によって、神様の救いの恵みが異邦人にも広げられて行ったのです。そしてこのように数千年後の今日まで、彼女のことが語り伝えられているのです。

伝道
 彼女のしたことは、今日の私たちの言葉で言えば、伝道です。あるいは信仰の証しです。このことは、伝道や証しというものがどのようになされるのかを教えていると言えます。それはそんなに大それた、難しいことではありません。彼女は、「サマリアの預言者のところに行けば癒してもらえるでしょう」と言っただけです。つまり、「あそこには救いがある」と指し示しただけなのです。その一言から大いなる救いの出来事が始まりました。私たちが伝道、証しをするというのも、これと同じです。それは小さな一つのきっかけを作ることに過ぎないのです。そこに神様ご自身が働いて下さることによって、大きな実りが生まれていきます。私たちがその実りまで自分の力で作り出さなければならない、などということはないのです。神様が働いて下さるためのきっかけとなる小さな一言を語ること、それが私たちの伝道であり、証しです。その一言は、誰でも、どんな境遇にいる人でも、どんな苦しみや悲しみの内にある者でも、語ることができるのです。この少女は、何の悩みも苦しみもない、順風満帆な人生を送っていたからこのように語ることができたのではありません。むしろ彼女は悲しみ苦しみのどん底にいるのです。決して幸福ではない、むしろ不幸な境遇にあるのです。しかし、だから伝道や証しはできない、それどころではない、ということはないのです。伝道や証しは、そこそこに幸せで、心に余裕のある人がすることだと思っているとしたら、それは大きな間違いです。それは、どんな状態にある人でも伝道をしなければならない、という義務の話ではなくて、私たちがどのように困難な状態、境遇、苦しみの内にあるとしても、その中で語る小さな一言を、神様が救いのみ業の前進のために用いて下さるのだということです。苦しみの中にある者をも神様は用いて下さる、そのことを私たちは信じてよいのです。けれども、神様が働いて下さるきっかけとなる小さな一言を語るためには、私たちの心が、外に向かって開かれていなければなりません。苦しみ悲しみの中で、自分の心の中に閉じこもり、神様と他の人々に対して心を閉ざしてしまうならば、そして自分の苦しみを嘆き、口説いているばかりならば、この少女のように語ることはできないでしょう。彼女は、奴隷とされたという大きな苦しみの中で、なお前向きに、周囲の人々と関わりをもって生きようとしているのです。そこに、神様が働いて下さるきっかけとなる、伝道、証しのための一言が与えられていくのです。

ナアマンの怒り
 さてナアマンはこの少女の言葉によって、サマリアにやって来ます。一人でそっと来たのではありません。アラムの王からイスラエルの王への親書を携え、多くの供の者を連れ、沢山の高価な贈り物を持って立派な行列を整えて、威儀を正してやって来たのです。彼がそのようにしてエリシャの家の前に立った時、エリシャはしかし戸口に出て来ようとはせず、人を遣わして、「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」と言わせました。これを聞くとナアマンはかんかんになって怒り、そこを立ち去りました。彼の怒りは11節以下の言葉に表されています。「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか」。ナアマンの怒りは二つのことに向けられています。一つは、エリシャが出て来ることもせず、ただ言葉で「こうせよ」と言うだけだったということです。ナアマンはアラムの王の親書をも携えて来た、国家代表のようなものです。そういう人が訪ねてきたのに、会うこともせずに済まそうとするエリシャの態度は確かに失礼だと言わなければなりません。またナアマンは、エリシャが、主なる神の名を呼び、患部の上で手を動かす、といういわゆる魔術的な癒しの業をしてくれるものと思っていたのです。何かそういう特別な、有り難い治療を受けられるものと期待していたのです。ところが与えられたのは、「こうすれば直る」という言葉だけでした。「なんだ、せっかく遠くから、沢山の贈り物を持ってやって来たのに、会おうともせず、そんな一言だけか」。そこに彼は、自分が、ひいてはアラムの国全体が軽く見られていることを感じたのでしょう。そして彼の怒りの第二の理由は、エリシャの言葉の内容です。エリシャは、「ヨルダン川で七度体を洗え」とだけ言ったのです。ナアマンは、この病気が癒されるためには、もっと大変なことをいろいろしなければならないだろうと思っていました。つらい苦しい試練に耐えて初めて癒されると思っていたのです。しかし七度体を洗うというのはどうということはない、簡単なことです。しかもヨルダン川というのは、そんなに立派な大河ではありません。彼の故郷ダマスコには、それよりももっと大きな、立派な川がいくつもあるのです。こんなどうということのない川でただ体を洗うだけでこの病気が直るなどとはとても思えない、そこにも彼は、自分のプライド、自尊心を傷つけられた思いがしたのでしょう。「もういい、帰る」と彼は怒ってエリシャのもとから立ち去ったのです。

自己主張とプライド
 ナアマンのこの怒りは、私たちもしばしば覚える怒り、いらだちなのではないでしょうか。私たちはいろいろな期待を持って教会に来ます。特に、悩みや苦しみ、悲しみのある時には、何とかしてその苦しみからの救いを得たいと切に願って来るのです。しかし、その願いがそのまま叶えられることはまずありません。教会は、私たちの抱く救いへの願いをそのままストレートに叶えてくれる所ではないのです。教会において私たちが与えられるのは、自分が願い求めている救いではなく、神様のみ言葉です。そして神様のみ言葉は、私たちにはしばしば、「こんなもの何の役に立つのか」と思えてしまうのです。ナアマンは、ヨルダン川で七度身を洗えというみ言葉を与えられました。そんなことは今までにも何度もしてきた、そういうことで直らないからわざわざここまで来たんだ、と彼は思ったことでしょう。そんな言葉ではなくて、もっと特別な、いわゆる加持祈祷による癒しが欲しいというのが彼の思いです。み言葉だけでは力にならない、もっとしっかりとした救いの徴が欲しい、そういうナアマンの怒りやいらだちは、私たちも抱く思いです。私たちは、このナアマンの気持ちがよくわかるのではないでしょうか。しかしこのナアマンの怒りを見つめていく時に、私たちは同時にそこに潜む問題にも気付かされるのです。ここには、自分の求める救いのために神を利用しようとする人間のあくなき自己主張があります。神様を自分の思い通りに従わせようとしているのです。加持祈祷というのはそのためのものです。預言者のところに来たのも、彼を使って神に自分の言うことを聞かせるためだったのです。またここには、人間のプライド、自尊心が明確に働いています。アラムの軍司令官ともある自分のもとに出て来ることもしないエリシャに対して彼が怒り、また、ヨルダン川で身を洗えという言葉に対して、「ダマスコにはもっと立派な川がある」と怒るのは、プライドを傷つけられたからです。救いにあずかることにおいてすら、自尊心、プライドにこだわらずにはおれない人間の姿がここに描き出されているのです。
 エリシャがナアマンに対してあのような失礼な態度を取り、またあのような言葉を与えたのは、彼の中にあるこの自己主張とプライドを打ち砕くためだと言えるでしょう。神様に対して自分の思いを要求し、神様を従わせようとするような思いを人間が抱いている間は、神様の救いの力は発揮されないのです。また人間が自分をひとかどの者だと誇り、その自分に相応しい扱いを要求するようなプライドを捨てていない間は、神様の恵みを受けることはできないのです。人間の自己主張やプライドは、神様の救いの恵みの実現を妨げるものです。その両者はどこかでぶつかり合わずにはいないのです。そういう意味で、エリシャの振る舞いと言葉によってナアマンが怒った、そのことは彼が神様の救いに本当にあずかる者となるために避けて通ることのできない備えであったと言うべきでしょう。私たちが、神様に対して、また教会に対して、同じ怒りを覚える、自分の求めている救いではなくて、何の役にも立たないように思えるみ言葉しか与えられないことにいらだちを覚える、それも、神様の救いに本当にあずかるための備えとして必要なことなのです。

プライドを捨てよ
 ナアマンは家来たちによって怒りをなだめられます。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」。この家来たちの言葉によって、ナアマンの怒りの本質がえぐり出されています。「とてつもなく大変なことを命じられたとしてもあなたはそれに従ったはずだ、ところが何でもないことをせよと言われると腹を立てる、それはただあなたのプライドが許さないということに過ぎないではないか、そんなプライドは捨てなさい、そして、難しいことは何もないのだから、とりあえずみ言葉に従ってみてはどうですか」、そう家来たちは言ったのです。ナアマンはその忠告によって思い直して、エリシャの言った通りにしてみました。すると、どうしても直らなかった重い皮膚病が嘘のように直ったのです。
 この癒しの出来事が教えているのは、私たちが神様の救いに本当にあずかるために必要なことは、神様に対する自己主張やプライドを捨てて、み言葉を受け入れ、それに従うことだ、ということです。ナアマンがヨルダン川で身を洗って癒されたのは、ヨルダン川に特別な聖なる力があるからではありません。彼が神様のみ言葉に従ったからです。自分があくまでも主人であろうとし、神様に自分の願いを要求し、神様をも自分の思い通りに動かそうとする、そういう心の姿勢を捨て、神様が自分の主人であり、私たちの人生を導き、幸福も不幸も、神様がそのみ心によって与えておられるのだということを受け入れ、その神様の前で自分が何者でもないことを認めて、ただひたすら救いの恵みを願い求めていったからです。ナアマンはヨルダン川で身を洗った時にはまだそういうはっきりとした信仰を持っていたわけではないでしょう。家来たちになだめられて、とりあえず言われた通りにしてみようかと思ったのでしょう。しかしそのことが大事なのです。そこであくまでも自己主張を貫き、自分のプライドに固執し続けたなら、彼の癒しはなかったのです。しかし、とりあえずでもいいから、み言葉を受け入れ、示された通りにする、その彼の思いの変化を、主なる神様は捉えて、救いの恵みを与えて下さったのです。私たちもそれと同じことを体験します。私たちが完璧な信仰者になり、主のみ前に完全にへりくだる者となって初めて救いの恵みが与えられるのではありません。私たちは半信半疑の中で、しかしとりあえずみ言葉を受け入れ、それに従って歩み出してみるのです。そこに神様が恵みをもって働いて下さり、私たちの信仰を確かなものに育てて下さるのです。

悔い改め
 ナアマンもこの癒しの体験を通して、「とりあえず」従ってみた主のみ言葉が真実の神の言葉であり、主なる神こそまことの神であられることを知ったのです。癒された彼はエリシャのもとに引き返します。この「引き返す」は「帰る」という言葉であり、「悔い改める」という意味にも用いられる言葉です。癒された彼が悔い改めたのです。悔い改めたから癒されたのではありません。癒しの恵みの中で、生けるまことの神に立ち返る悔い改めも与えられていったのです。このようにして、異邦人の、イスラエルの敵の軍司令官だったナアマンが、主なる神様を信じる者となったのです。

異教の民の中で
 ナアマンはエリシャに感謝の贈り物をしようとしますが、エリシャは受け取りません。それを惜しいと思ったエリシャの従者ゲハジが、後からエリシャに内緒でそれを受け取り、自分のものにしようとして、結局ナアマンの重い皮膚病を自分がもらうはめになった、という話が20節以下に続いていきます。しかしそのことよりも、ここで注目しておきたいのは、17節から19節です。ナアマンはエリシャに、らば二頭に負わせることができるほどの、イスラエルの地の土を求めたのです。その土を自分の国へ持って帰りたいと言うのです。その土で何をするのか、はっきりと語られてはいません。しかし、「僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません」という言葉から想像できることは、主なる神様に犠牲を献げるための祭壇をこの土で築くということでしょう。彼の国アラムは異教の神々の国です。そこに彼は帰っていく。しかしそこに、主なる神の地であるイスラエルの土を持ち帰り、祭壇を築き、主なる神を礼拝しようとしているのです。このことは勿論、昔の人々の、土に対する特別な思いから来ていることで、今日の私たちはそういう感覚を受け継いではいないし、受け継ぐ必要もありません。つまり、イスラエルの土がなければ主なる神様を礼拝することができない、などということはないのです。けれどもこのことは、その意味を考えていくなら、私たちにも大いに関係する話です。ナアマンは、異教の民の中で、主なる神様を礼拝しようとしているのです。異教の神々への信仰や祭儀の満ちている社会において、主なる神様への礼拝の場を確保しようとしているのです。それは今私たちがこの国、この社会において信仰者として生きようとする時に直面するのと同じ現実であると言えるでしょう。私たちは、この礼拝から、それぞれの生活へと送り出されていきます。そこは、主なる神様を知らない、他の神々への祭りの溢れる場です。私たちはその異教の民の中へ、イスラエルの土ではなく、主イエス・キリストの福音を携えて遣わされていくのです。そこで、主なる神様を礼拝する者として生きることが私たちの課題です。ナアマンがしようとしたのもそれと同じことなのです。
 18節のナアマンの言葉は、異教の民の中で主なる神様を礼拝しつつ生きようとする者が直面する大きな問題を示しています。ナアマン個人は、主なる神こそまことの神であり、他には神はない、という信仰に生きる者となったのです。しかし彼はアラムの軍司令官であり、その王に仕える者です。アラムの王はリモンという偶像の神を礼拝しています。その王に仕える彼もまた、職務上その礼拝に連なり、共にリモンの前にひれ伏すことを求められるのです。そのことを主が許してくださるようにナアマンは願っています。自分の信仰としては、主なる神のみを信じ、礼拝する、しかし異教の社会における職務や立場において、どうしても他の神々への祭儀に連なることを求められることがあるのです。このナアマンの悩みは、そのまま私たち一人一人の悩みです。仏教のお葬式に出る時にはどうすればよいか、法事に連なることはよいのかどうか、主なる神様を唯一の神と信じ礼拝する私たちはそのことでいつも悩み苦しむのです。そこにおいて、このナアマンの姿は一つの明確なあり方を示しています。主に対する自分の信仰はしっかりと保ち、礼拝の生活を確保しつつ、異教の社会における職務や立場上他の神々への祭儀に連ならなければならない時はそれをしきたり通りに行う、そのことを主なる神様に赦して下さいと願っているのです。エリシャはこれに対して、「安心して行きなさい」と答えました。直訳すれば、「平和の内に行きなさい」です。その「平和」は「シャーローム」という言葉で、神様の恵み、祝福の満ちあふれる状態を意味します。エリシャはナアマンの願いに対して、「それでよい、あなたのその歩みに、主なる神が祝福と恵みと平安を満たして下さる」と約束したのです。ここに、異教の民の中で生きる私たちへの大切な教えがあります。私たちは、異教の民の中で、主なる神様以外の偶像への礼拝には絶対に連ならない、と突っ張って生きる必要はないのです。勿論、私たちが自分の信仰において信じ、礼拝するのは、主イエス・キリストの父なる神様お一人です。しかしその信仰をしっかり持って生きることと、この社会における立場、関係の中で、他の宗教の祭儀に連なり、また他の宗教を信じる人々とのよい交わりの内に生きることは両立できるのです。そこで、最初のあの奴隷の少女のことをもう一度思い出してみたいのです。彼女は異教の民の中でまさにそのように生きていたのです。異教の民に対して心を閉ざし、交わりを拒むのではなく、与えられた境遇の中で、前向きに、周囲の人々とよい関係を築きつつ生きていたのです。だから、ナアマンの救いにつながるあの大事な一言を語ることができたのです。私たちは、天地の全てをお創りになった唯一の主なる神様を信じ、その神様を礼拝しつつ生きています。この信仰に生きる時に、私たちは、異教の民の中でも、決して孤立したり変に突っ張って自分の殻の中に閉じこもるのではなく、誰に対しても心開かれて生きることができるのです。自己主張やプライドはもう捨てたのですから、そうすることができるのです。そしてそこでこそ私たちは、伝道をすることができる。神様が働いて下さるための小さなきっかけを作り出していくことができるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2003年7月27日]

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