富山鹿島町教会

礼拝説教

「荒れ野で叫ぶ者の声」
イザヤ書 40章1〜11節
ルカによる福音書 3章1〜14節

小堀 康彦牧師

 週報にありますように、先週の長老会において、インド洋津波被災救援募金を今日から今月いっぱい行うことにいたしました。毎日の報道で亡くなった方の人数が日を追うごとに増え、16万人を超えるとの報道がされています。私共は何が出来るのかと考えますと、本当に何も出来ない無力さを覚えますが、出来るだけの救援の為の募金をなし、祈りをささげたいと思います。日本基督教団は、こういう場合に直接現地に人を派遣し、医療その他の救援を行うシステムを持っていませんが、世界ルーテル教会協議会はそのシステムを持っており、すぐに現地に入っての救援を行っています。これは実績もあり、世界各地で災害が起きると一日、二日の内にスタッフが送られていく。本当にすごいシステムです。これを支援する形で、私共の献金は用いられることになります。キリストの御名のもとで展開される愛の業に用いられることになります。これも大切な証の業でしょう。

 さて、今日与えられております御言葉、ルカによる福音書の3章の冒頭でありますが、7人の名前が次々に挙げられております。ルカによる福音書の特徴の一つは、1章3節にありますように、「順序正しく書く」ということです。バプテスマのヨハネの登場、そして主イエスの公生涯の始まりとなる訳ですが、それがいつだったのか。ルカは客観的な資料として、当時の支配者達の名前を挙げているのでしょう。
 最初に出てくるのはローマの皇帝ティベリウスです。この皇帝は紀元後14年8月に皇帝になったことが判っておりますので、その第15年ということは、バプテスマのヨハネが活動を始めたのは、紀元後28〜29年ということになります。その時のユダヤの総督は、私共が良くその名前を知っているポンティオ・ピラトです。これもローマの公文書の中に紀元後26年からユダヤの総督となった記録が残っております。次の二人、ヘロデ、フィリポは、主イエスがお生まれになった時のユダヤの王、ヘロデ大王と呼ばれますが、その子ども達で、ヘロデ大王の領土を分割して受け継いだのです。しかし、皆、いつからその地位についたのかは、記録が残っています。ヘロデは紀元前4年から紀元後39年まで、フィリポは紀元前4年から紀元後34年まで、その地位にありました。ですから、このルカの記述は歴史的に大変正確になされていると考えて良いと思います。リサニアについては、良く判りません。二人の大祭司の名前、アンナスとカイアファが挙げられていますが、大祭司は一人のはずですから奇異な感じがします。しかしこれは、アンナスがローマによって大祭司の地位を退かされカイアファが大祭司となった後も、大変大きな影響力を持ち、権威を持ち続けたという事実をよく反映しているのです。主イエスが十字架に架かり、使徒達が働いた時代の大祭司はカイアファでした。

 では、バプテスマのヨハネは一体何者なのか。ルカはどのように理解していたのでしょうか。ルカはイザヤ書40章4〜6節の言葉を引用しながら、この預言の成就としてヨハネを理解している訳です。荒れ野で呼ぶ者の声、主の道を整えよと叫ぶ者、それがヨハネであると見ているのです。ここでイザヤ書40章を見たいと思いますが、イザヤ書40章というのは、イザヤ書の中でここからいわゆる第二イザヤと呼ばれる所に入る大変注目すべき所なのです。今、第二イザヤという言い方をしましたけれど、元々イザヤは紀元前8世紀の預言者です。1章から39章までは、その時代を背景としています。この部分を第一イザヤと申します。この部分でユダを圧迫するのはアッシリアです。ところが40章以降は、バビロンなのです。アッシリアの時代とバビロンの時代は、200年程の時代の開きがある。そして、第一イザヤの部分は、どっちかというと裁きの言葉が多い。ところが40章以降、イザヤ書の基調は、慰めということになります。それは、39章までは「悔い改めよ、そうでないと神様の裁きによってアッシリアによって滅ぼされてしまう」というメッセージが告げられていたのに対して、40章以降は既にバビロン捕囚にあっているユダの民に対して、「神様の救いによる希望」を告げる。それが、中心的メッセージとなっているからなのです。
 第二イザヤ書の冒頭、イザヤ書40章はこう始まります。「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。」第二イザヤはバビロン捕囚という悲惨な現実にある神の民に向かって「慰める」、それが神様から与えられた使命だったのです。どうやって慰めるのか。それは「苦役の時は今や満ち、彼女(エルサレム)の咎は償われた。」つまり、もう神様の裁きの時は終わった。罪は償われ、赦される。神様の新しい救いの時が始まる。このことを告げよ。それによって慰めよと言われている。2節にある「エルサレムの心に語りかけ、」と訳されている言葉、これは恋人に語りかけるように、かきくどくように語りかけよという意味の言葉なのです。バビロン捕囚にあって、すでに数十年。希望を失い、生きる力を失った神の民。ただ通りいっぺんの気休めの言葉では慰められないのです。かきくどくように、何としても慰める、そういう思いを持って語らなくては、傷つき弱り果てたユダの人々に届かないのです。
 私はこのイザヤ書の言葉に心を動かされたことがあります。牧師としての根本を正されたのです。神学校を卒業して数年した頃です。それまで遣わされた教会の欠けばかりが目についていた。もっとこうならなければダメだ、こうしなければ、そんなことばかり考えていた。しかし、ある時このイザヤ書の言葉が与えられました。口語訳で「慰めよ、我が民を慰めよ。ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ。」です。ねんごろに、恋人をかきくどくように、我が民に慰めの言葉を語れ。私は、自分は慰めを語ってきたのか、そう問われました。自分は、この教会の牧師として立てられているということは、何よりも神の慰めを語る者として立てられているのではないか。そのことを思い知らされたのです。私は牧師として、説教者として、あの時から変わったのではないかと思います。
 この第二イザヤがバビロン捕囚のただ中にある神の民に告げた最初の慰めの言葉、それが今日のルカの3章で引用されている言葉なのです。3〜4節「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。」ここで、「道を備えよ」「道を通せ」「険しい道は平らに」「狭い道は広く」と言われています。この道というのは、私共が日常的に使っている普通の道のことではないのです。王様が外国まで遠征して戦いに勝利して帰ってくる、その時に使う道なのです。人々はこの道の両脇に並び、王の勝利を喜び祝う。この道は幅が100mもあるような、巨大な道です。山はけずられ、谷は埋められ、真っすぐな道が造られるのです。この王の凱旋のパレードの為の道、何万、何十万という軍隊と共に、勝利の王がやってくる、その道を備えよ。そうイザヤは告げた。この勝利の王である神様によって、このバビロン捕囚という現実は打ち破られる。そうイザヤは告げたのです。
 ルカは、この荒れ野で呼ぶ者の声こそ、バプテスマのヨハネだと告げているのです。とするならば、ヨハネの語ること、ヨハネの存在そのものが、慰めであるはずなのです。私共は、このことをきちんと押さえておかなければならないのです。ヨハネの語る言葉は、荒々しく、激しいものがあります。7〜9節「蝮の子らよ。差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」「蝮の子ら」と呼び、神様の裁きを語る。この言葉の勢いに押されて、ヨハネの語る慰めを聞き落としかねない。私共は注意しなければなりません。何よりもヨハネは次に来られる救い主イエス・キリストを指し示し、主イエスによってもたらされる大いなる救いの出来事の先触れとなったのです。では、ヨハネが為したことを見てみましょう。

 第一に「悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」ということです。「悔い改め」これはキリスト教会において、いつも耳にする言葉ですけれど、何となく判るけど、何となくはっきりしない、そんな印象を持っている方も少なくないのではないかと思います。これについては、様々な角度から考えることが出来るのですけれど、これは私共が慣れ親しんでいる反省というものとは全く違うことなのです。反省するのには神様はいりません。自分で自分の姿をかえりみて、これではいけないと思う。それが反省でしょう。私は反省では人間はなかなか変われないのではないかと思っています。人間は弱いものですから、反省しても同じ過ちを繰り返してしまう。それが私共でしょう。悔い改めというのは、回心とも言います。この時の字は、心を回すと書きます。心を改めるではありません。心を改める改心は、反省して、部分修正するようなものでしょう。人間の心は、部分修正ではダメなので、根本から心の向きが変わる、心が回るということじゃないと変われない。問題はどこに向かって、どのように心が回るのかということですが、それは私共の心が神様に向かう、真っすぐに神様に向かうようになるということなのであります。それはもっと具体的に言えば、神様中心の生活をするようになるということです。心は回ったけれど、生活は変わらない。そんなことはあり得ないのです。たとえば、私共は日曜日になるとここに集い、神様に礼拝をささげています。私共はヒマだから、ヒマつぶしに来ている訳ではない。家に居てやろうと思えば、やらなきゃならないことは山程ある。たまの休みに、骨休みもしたい。しかし私共はここに集う。それは、この礼拝をささげるということが、私共が生きる上でなくてはならないもの、生活の中心になっているからでしょう。これは、私共の生活のすみずみにまで及ぶものです。ヨハネは、主イエスの到来の道備えとして、人々の心の向きを神様の方に向ける、そのことをなしたのであります。それがヨハネのなした第一の主イエスの為の道備えでした。

 第二に、この悔い改めによる道備えを、いわゆる神の民と自覚している人々から、更にもう自分は神様の救いから遠いと思っている人々にまで広げたということです。主イエスの救いは、律法を守るユダヤ人だけではなくて、全ての人々に及ぶ。2章31,32節のシメオンの言葉で言えば、「万民のために整えてくださった救い」「異邦人を照らす啓示の光」としての主イエスの救いへと道を備えたということなのです。そのことが、7〜14節のヨハネの言葉の中に示されています。ユダヤ人達は、自分達はアブラハムの子孫だから救いに与れると考えておりました。しかし、ヨハネは、そんな考えは頭から捨てよ、神様は石ころからでもアブラハムの子を造り出すことがお出来になる、そう言うのです。自分達はアブラハムの子孫である。そこにユダヤ人達の誇り、救いの根拠がありました。しかしヨハネは、そんなものは何の役にも立たないと告げたのです。これは主イエスも教え、パウロにも引き継がれた福音の道筋でありましょう。だったら、何が救いの根拠になるのか。ヨハネは、神様に向かって回心すること、悔い改めることだ、悔い改めにふさわしい良い実をつけることだ、そう教えたのです。
 では良い実とは何か。11節「ヨハネは、『下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ』と答えた。」とあります。弱い者、貧しい者に対してのあわれみの心を形にすることであります。私共は、この度のインド洋津波で被災された人々の為の募金を行うのも、このような御言葉によって導かれている者としての当然の行いなのであります。問題はその次です。12節ですが、ヨハネのもとに徴税人も来たのです。彼らは救いに与ることの出来ない者と考えられていた人々でした。もう死語になっていますけれど、売国奴という表現がぴったりする扱いを受けていた人々です。しかしヨハネは、彼らに対しても、救いの道は閉ざされてはいないと告げたのです。言われたことは簡単なことでした。「規定以上のものは取り立てるな」ということでした。そして次に兵士です。これはローマの兵隊でしょうから、異邦人であったかもしれません。異邦人も当時救いに与ることの出来ない人々考えられていました。しかし、ヨハネは彼らに対しても又、救いの道は閉ざされていないことを告げました。そして、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ。」と言ったのです。これは当たり前のことでしょう。ヨハネは難しいことを求めたのではないのです。当たり前のことを、当たり前にすることを求めたのです。これは、まことに簡単なことのように思われます。しかし、徴税人の仲間達の間では、規定以上に少しでも多く取ることが当たり前であったことを考えるならば、これを行うのも又、戦いではなかったかと思うのです。兵士達にしても同じです。ローマの権力をかさにきて、ゆすったり、だまし取ったりするのが日常であった彼らにとって、この当たり前のことをすることは、少なからぬ戦いを必要としたのではないかと思うのです。ヨハネは、徴税人も異邦人であるかもしれない兵士も、罪の赦しへの道が開かれていることを示しました。これは、主イエスの道備えに、何とふさわしいことであったかと思います。慰めに満ちたことであったと思います。しかし、それは同時に、今までの歩みからの決別という戦いを求めるものでもあったのです。
 パウロの手紙を読んでいますと、しばしば「勧める」という言葉が出てきます。この勧めるという言葉は、「慰める」とも訳せる言葉です。このように生きなさいと勧める。それは「このように生きる者として召されているでしょ」という慰めの言葉でもあるのです。ヨハネがここでやっているのも、そういうことなのであります。神様の慰めに生きるということは、この神様の勧めに喜んで従うということでもあるのです。

 私共は悔い改めることを教えられました。神様に向かって全身を傾けて歩む者として召されました。そうである以上、悔い改めにふさわしい実を結ぶ者として、歩んでいかねばなりません。これは、きびしい律法ではありません。私共にとって、甘く、慰めに満ちた勧めであります。そのような者として召されているということは、神様の恵み以外の何ものでもないからであります。この礼拝から始まる一週間の歩みも、神様を中心として、神様に喜ばれる歩みを、精一杯ささげつつ歩んでまいりたいと心から願うのであります。

[2005年1月16日]

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