富山鹿島町教会

礼拝説教

「恐るべき方は誰か」
創世記 18章9〜15節
ルカによる福音書 12章1〜12節

小堀 康彦牧師

 アブラハムが99才の時、妻のサラが89才の時、三人の神様の使いが現れてアブラハムに告げました。「来年の今ごろ、あなたの妻サラに男の子が生まれているでしょう。」サラはその言葉を天幕の中で聞いておりましたが、そんな馬鹿なことがあるはずが無いと思い、ひそかに笑いました。「ひそかに笑った」というのは、心の中で笑ったということでしょう。しかし、神様はそのサラの心の中のひそかな笑いを見逃しませんでした。主は言われました。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。」サラは、自分が心の中で笑ったことさえも見通されていることに恐ろしくなり、「わたしは笑いませんでした。」と言いますが、主は「いや、あなたは確かに笑った。」と告げたのです。
 大変印象的な場面です。主が、わたしは笑いませんでしたと言うサラに対して、「いや、あなたは確かに笑った。」と言われる所は、すごみさえあります。この所を読む者は、誰も自分がサラになった気持ちになって、自分の不信仰を暴かれるような思いになるのではないでしょうか。自分も又、サラと同じように神様の言葉を正面からアーメンと言って受け取っていない、そんな自分の心も神様はお見通しなのだ。これは恐るべきことであります。「神様は私共の全てをご存知である。」これは当たり前のことでありますが、しかし大変恐るべきことであります。私共は、「神様がいつも共に居て下さる。」ということをしばしば口にします。だから大丈夫だと言います。その通りであります。しかし、神様が私共と共に居て下さるということは、私共が求めた時、私共にとって都合が良い時にだけ神様が共に居て下さるということではないのです。私共が不信仰な時も、神様には見せられないひそかな罪を犯している時も、神様は私共と共におられて、全てをご存知であるということなのであります。これは、実に恐るべきことなのではないでしょうか。
 しかし、ここでもう一度立ち止まらなければなりません。神様は私共の全て、不信仰もひそかな罪も全て知った上で、それでも私共を赦し、神の子として受け入れて下さり、私共を愛し、その全能の御手の中に私共を置いて下さっているということであります。何という恵み、何という愛であろうかと思うのです。私共はそれを信じて良いのです。
 サラは神様の言葉を信じられず笑いましたけれど、男の子が与えられるという恵みを取り上げられたのではないのです。信じることの出来ないサラ、それはアブラハムも同じでした。17章17節に「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。』」とあります。この信じることの出来ない二人に、神様は男の子イサクを与えられたのです。神様の愛は、アブラハムとサラの不信仰を包まれるのです。私共は主イエスを信じ、洗礼を受け、信仰者としての歩みを始めました。しかし、その歩みはいつも不信仰な自分を引きずっています。ひそかに笑う罪を犯してしまう私共なのにです。神様は、その全てをご存知です。しかし、神様は主イエスの真実、主イエスの信仰を通して私共を見て下さるのです。私共の真実、私共の信仰ではありません。神様は、主イエスの十字架の御業を通して、私共を見てくださり、私共を受け入れて下さっているのです。

 この神様の愛の中に生かされている事実に目が開かれる時、私共は自由になります。神の御前に生きる自由です。それは海の上で、あるいは山の上で、空を見上げた時、自分の上には何もない。スコーンッと、天の神様につながっている。自分の上に覆いかぶさってくるものは何もない。そんな自由であります。この自由の中で、私共は神様に喜んで従うのであります。
 私共を不自由にするものに人の目があります。これは大した力を持っています。私共は、神様の目よりも、この人の目を恐れてしまう所があるのです。そこに生まれてくるのが偽善です。主イエスはファリサイ派の人々に対して、大変厳しい批判をされましたが、その第一に上げられているのは偽善です。主イエスは言われました。1節後半「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。」このパン種とは、イースト菌のことです。これは、ほんの少し小麦粉に加えるだけで、小麦粉全体に広がります。主イエスはここでファリサイ派の人々の偽善に注意しなさいと言われましたけれど、それはファリサイ派の人々を非難している以上に、偽善は主イエスの弟子達の中にも、つまり私共の信仰の歩みにおいても入り込んでくるものであり、それが入って来ると私共の信仰の歩み全体が侵されてしまう。だから注意しなさいと言われたのであります。神様の目よりも人の目を気にして、神様に良しとされるよりも人に良しとされたい。そこに偽善が生まれるのです。
 もとより、この世に生きている以上、人の目を全く気にしないで生きるということは出来ませんし、それをすれば私共は奇人・変人の集まりになってしまうでしょう。主イエスが言われているのは、そういうことではないのです。主イエスが言われているのは、本当に正しいことというのは、人が決めることではなくて、神様が決めることだ。だから、真実に神の御前で正しく生きなさいということなのです。
 偽善という言葉は、大変厳しい言葉です。偽善者と言われれば、誰だってドキッとします。私は偽善者ではありませんと胸を張って言える人はいないでしょう。確かに、本音と建前を使い分けなければ、世の中生きていけない。いつも正直に心に思ったことを口にしていたのでは、相手を傷つけます。それで平気な顔をしていたのでは話になりません。それが私共の現実であります。しかしその、この世の知恵とも言うべきものが、神様の前でも通用すると考えてはならないということなのであります。神様の前では、本音も建前もないのです。神様は私共の全てをご存知だからであります。神様の前でも偽善が通ると思っているなら、これ程神様を馬鹿にした話はないのです。私共の信仰は、人に見せるものではなくて、神様に見ていただくものなのです。神の御前で生きることが忘れられた時、偽善というものが頭をもたげてくるということなのであります。

 さて、2〜3節で主イエスは「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」と言われておりますが、これは終わりの日、神様の御前に立つ日のことを言っているのだろうと思います。文字通り読みますと、「隠れて罪を犯しても、それはいつか明らかにされてしまうものだ。」という風にも読めるのですが、確かにそういう意味もあるかと思いますが、それ以上に、神様の御前に立つ日、全てが明らかにされる。そのことを心に刻むようにということではないかと思います。その方が、より徹底しますし、4節以降の主イエスの言葉ともよくつながると思います。
 4節以下の所で、主イエスは本当に恐るべき方は神様であって、それ以外のものを恐れることはないと告げています。本当に恐れるべき方である神様を恐れ、その方の前に真実に生きるならば、目に見える力あるものを、私共は何一つ恐れることはないのだと、主イエスは言われるのであります。主イエスが恐れることはないと言われたのは、「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者ども」であります。私共の体を殺すことが出来る者。それは本当に恐ろしい、この世において現実的な力を持つ者であります。私共はそれを前にすると、本当に言いたいことも言えなくなる。本当に力があるのです。それは、時の権力者であり、国家であり、あるいは世間というようなものであるかもしれません。ここには、主イエスの弟子達が将来出会うであろう迫害というものが、主イエスの目には見えていたということなのだろうと思います。それは、11節の「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。」にも見られます。主イエスは、迫害というものを見据えていたのです。
 私共には信仰による迫害などというものは、遠い昔話のように思われるかもしれません。しかし、それは私共があまりに忘れやすい性格だからではないでしょうか。
 私は1956年、昭和31年に生まれた者ですから、戦争を知らない者です。しかし、牧師となり、戦前、戦中のキリスト者が、この日本という国においてどのような扱いを受けてきたかを、多くの人から聞いてきました。私はそれを忘れることは出来ません。戦後の日本の出発は、あの敗戦から始まりました。二度と、あのような悲惨を繰り返さない。その思いから出発したはずです。最近の政治家や文化人と言われる人達の言葉を聞いていると、日本はもうあの戦争を忘れたのではないかと思うことがあります。しかし、私共は忘れてはなりません。
 以前に話したことがあるかもしれませんが、私が前任地の舞鶴におりました時、隣の教会に三好先生、吉岡先生という二人の女性の牧師がおりました。戦争の足音が近づく中、物部という人口数千人の村に開拓伝道をされた方です。戦争が始まると、教会には誰も来なくなりました。窓は石で割られ、食糧の配給ももらえず、教会学校に来ていた子供達には「ヤソは死ね!」と言われた。それでも、そこから離れず、戦後は村の求めに応じて幼稚園を開き、伝道し続けた方でした。私は伝道や教会で行き詰まったり、疲れた時、何度も、車で40分程のその教会に行きました。三好先生と吉岡先生は、「ちょっと近くに来たので寄りました」と言う私に、きっと悩んでいるのだなというのを感じたのでしょう。いつも何も聞かずに、戦争中の話をしてくれました。少しも気負わずに、淡々と、「配給をもらえない時は本当に困った。でもお祈りしていたら、教会の裏にカボチャが置いてあったの。うれしかった。」そんな話を、いつもお二人で笑いながら話してくれました。そこには、軽やかな自由がありました。天からの光に照らし出された者の美しさがありました。私は、その話を聞きながら、神様を信じ、全てをこの方に委ねて、自分の為すべきことを、この方の御前に精一杯やっていけばいいのだ。後のことは、神様が何とかしてくれる。そんな明るい気持ちになって、舞鶴に戻っていきました。
 私は自分が幸せ者だと思うのは、何人もの本当に美しい伝道者に出会ったことです。皆さんもそうでしょう。私に洗礼を授けた福島勲もそうでした。ちなみに、この福島牧師は総曲輪教会百年史の中に出て来ます。p.88の、先日天に召された鷲山先生の言葉として、「教会とは何か。教会の理念は何か。キリストの主権を現実の教会にどう現すべきなのか。牧会者として苦悩して祈った。そして、30年2月、荻窪教会の福島牧師の勧めで初めて宣教協議会(連合長老会)に出席、教会形成ということの核心に触れたのである。」とあります。この鹿島町教会が長老教会を指向していく出発がここにあるのですが、何も知らずにこの教会に赴任した私には、何とも不思議な思いがいたします。
 鷲山先生も美しい伝道者でした。キリスト者の美しさ。それは、真実に神の御前に生きている者の美しさなのでしょう。人の目にこびず、人を恐れず、ただ父なる神様を恐れ、この方の御前に真実に生きる美しさです。その美しさには、厳しさがあります。凛としているのです。しかしそれでいて、その厳しさは人を寄せ付けないような厳しさではありません。軽やかで明るくて自由なのです。それは、この本当に恐れなくてはならない神様は、私共の髪の毛までも一本残らず数えておられる方であり、その上で私共の全てを守り、支え、導いて下さる方であり、この方を知っているからです。この恐るべき方が、全知全能の愛のお方であるり、このお方の御手の中に、自分の全てが守られていることを知っているからであります。私も、そのような美しいキリスト者になりたいと思う。

 私共は、神様を知っています。否、神様に知られています。神様は全てを知り、その上で私共の全てを赦し、愛し、育み、守って下さっています。私共の地上の命は、やがて終わりを迎えます。しかし、それで全てが終わるのではありません。本当に恐るべき、この神様の御前に立つのです。そして、その時に全てが明らかになるのです。私共が何を恐れ、何を信じ、何に従って生きてきたのか。その全てが明らかにされるのです。それは恐るべき日です。しかし、この日、私共には別のことも明らかにされるのです。私共が苦しみ、悲しみの中を歩んでいた日々、どれ程神様の御手が私共を守り、支え、導いて下さっていたかを。そして、この日、キリストは私共の全てを覆う衣となり、私共と共に居て、私共を神様の御前に立たせるのです。ですから、この日は恵みの日ひ、救いの日でもあります。キリストが共におられる。それは、この地上における私共の全ての場に於いてだけではありません。この全てが明らかにされるその日にも、キリストは私共と共に居て下さるのです。だから、私共は安心して、私共を脅かす一切の目に見える力を恐れることなく、主イエスと共に、恐れるべきただ一人の方を恐れ、この方の御前に真実に歩んで行けばよいのであります。

[2006年10月8日]

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