富山鹿島町教会

礼拝説教

「牢獄の中でも」
創世記 40章1〜23節
テモテへの手紙二 2章8〜13節  

小堀 康彦牧師

 インマヌエル、「神、我らと共にいます」ということを知っているとは、どのような境遇に身を置いても、決して投げ出さない者として生きることが出来るということであります。ヨセフは兄弟たちに売られエジプトで奴隷となり、更に監獄に入れられてしまいました。先週見ましたように、39章には「主がヨセフと共におられた」という言葉が繰り返し告げられております。そして、今日の40章です。ヨセフが監獄に入れられてしまってからのことが記されています。監獄。そこはこの世で最も悲惨な場所でしょう。三千年以上前の監獄です。現代のような、陽の光が射し込むような環境ではなかったでしょう。そこは、穴蔵とでも言うべき、文字通り光の無い闇の世界であったと思います。ヨセフがエジプトの王の前に立つのが30歳の時です。ポティファルの家で奴隷であったのが何年かは分かりませんけれど、奴隷と監獄を合わせて13年です。短い時ではありません。奴隷の時代と監獄の時代を半々と考えても、6、7年は監獄の中にいたことになります。彼はその間、暗い闇の監獄の中でも、ヨセフは投げ出さないのです。ヨセフは監獄の中で、監獄に入れられた高官たちの世話をする役を与えられました。エジプト王の給仕役と料理役が監獄に入れられてきました。ヨセフは彼らの世話をすることとなりました。
 ここで「エジプト王の給仕役、料理役」とあるのは、文字通りに給仕をする人、料理を作る人と考えてはいけません。これは宮廷の役人の役職名なのです。給仕役も料理役も、王の側近です。大変高い役職と考えて良いでしょう。その二人が侍従長の監獄に入れられた。理由は分かりません。トーマス・マンの小説『ヨセフとその兄弟たち』の中では、ぶどう酒にハエが入ったとか、白墨のかけらが料理に入っていたといった、些細なことが原因であったということになっていますが、私はこの二人の役職とその後料理役が木にかけられて処刑されてしまうことを考えると、毒殺の疑いをかけられたからではないかと思うのですが、本当のところは分かりません。
 ヨセフは、この二人の役人の世話を真面目に行います。それは7節の言葉で分かります。二人の役人は夢を見た。当時、夢というのは未来の出来事を啓示するものと考えられておりまして、高度に専門化した学識者によってその意味を明らかにされると考えられておりました。41章8節で、ファラオの夢を解く為に魔術師と賢者が集められたのは、そのことを示しています。この二人の役人は夢を見たのですが、監獄の中ではその夢を解いてくれる人もいない。自分たちはこれからどうなるのか不安で、ふさぎ込んでいたのです。その二人にヨセフがこう声をかけます。7節「今日は、どうしてそんなに憂うつな顔をしているのですか。」この声のかけ方には、ヨセフの二人に対しての接し方が、世話をする者として真面目で、丁寧であったことが示されていると思います。いいかげんであったのなら、二人が憂うつな顔をしていようと、ふさぎ込んでいようと、関係ない。自分は自分の仕事をするだけということになるでしょう。そもそも、そんなことに気付きもしなかったのではないでしょうか。しかし、ヨセフはこの二人に対して、昨日と違う状態に気付き、心を開き、同情し、声をかけたのです。
 ヨセフは侍従長ポティファルの家の奴隷として、真面目に働き、ポティファルの妻の誘惑にも負けず、まっすぐに生きてきた。その結果がこの監獄での日々です。真面目に生き、働いても、何も良いことなどなかった。だったら、もう真面目に生きるのはやめた。形だけ、与えられた仕事をこなしていけば良い。そう考えても不思議はありません。しかし、ヨセフはそうは生きなかった。たとえ監獄の中であっても、役人の世話をするという下働きであっても、彼は自分の為すべきことを誠実に行ったのです。彼は監獄に入れられても、自分の人生を投げ出さなかったのです。私はここに既に奇跡があると思います。インマヌエルの恵みに生きる者の奇跡です。8節に「『我々は夢を見たのだが、それを説き明かしてくれる人がいない』と二人は答えた。ヨセフは、『解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください』と言った。」とあります。ヨセフは、「解き明かしは神がなさることではありませんか。」と告げるのです。神様がおられる。この監獄に入れられても、彼はインマヌエルの信仰に生きているのです。

 先程、テモテへの手紙二をお読みしました。これは使徒パウロの手紙です。パウロも又、牢獄に入れられた人です。彼は牢獄に入れられても、その中で出来ることを心をこめて行った人です。彼は牢獄の中から、多くの教会に宛てて手紙を書いた。その多くが、新約聖書の中に納められています。獄中書簡と呼ばれるエフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙、です。そして、テモテへの手紙二も獄中から書かれている。パウロは主イエスの福音を宣べ伝えたが故に牢に入れられたのです。神様に召され、神様の御業に仕えたが故に牢に入れられた。しかし、パウロは神様を恨み、神様を呪うのではなくて、神様をほめたたえつつ、この牢の中でも自分が出来ることを、精一杯行ったのです。牢につながれても、インマヌエル、神我らと共にいます、という信仰を失うことはなかったのです。2章9節の御言葉「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」は大変有名なものです。パウロは、自分は牢につながれている。しかし、神の言葉はつながれていない。だから、せっせと手紙を書き、同信の者たちを神の言葉をもって、慰め、支え、励まし続けたのです。
 ヨセフもパウロも、自分が与えられた場において、自分が出来ることを誠実に、精一杯為したのです。それが、インマヌエルの信仰に生きる者の姿なのでしょう。私は牧師として歩み始めた頃、神様に示されて心に決めたことがあります。それは「無い物ねだりはしない」ということでした。無いのなら造っていけばいいのですし、無いなりに与えられているものを感謝して、そこで出来る限りのことを為していくしかないのです。神様がいて下さるのですから、精一杯やっていれば、神様が何とかしてくれるのです。今でもそう思っています。「出来ることを精一杯」です。
 私は、ヨセフが奴隷となり監獄に入れられるという日々の中で、彼が泣き言一つも言わなかったとは思いません。17歳で誰も知らない土地に売られて奴隷となり、監獄に入れられ、泣き言一つ言わないなどということはあり得ないでしょう。しかし、聖書はそのことは記さないのです。どうしてでしょうか。それは、ヨセフがその泣き言に支配されることがなかったからだと思うです。泣き言を言いたい時もあった、そして言ったこともあるでしょう。しかし、ヨセフはそれに支配され、自分の人生を投げてしまうことはなかったのです。それは、ヨセフが「インマヌエルの信仰」に生きていたからであります。

 さて、二人の役人は自分たちが見た夢をヨセフに話し始めました。それは二人が、ヨセフは夢を解くことが出来ると信頼したからではないと、私は思います。気分も落ちこんでいるし、やることもないしといった、暇つぶしぐらいのことではなかったかと思います。何しろ夢を解くということは、当時のエジプトにおいては高度な専門知識を必要とする専門職のすることだったからです。監獄の下働きの異邦人にそんなことが出来るとは、彼らも本気で思った訳ではないでしょう。
 給仕役の長の夢はこういうものでした。「一本のぶどうの木に三本のつるがあり、そのつるに、みるみるうちにぶどうがなりました。そして自分はファラオの杯にぶどうをしぼり、ファラオにささげた。」ヨセフはこの夢をこう解きました。「三本のつるは三日です。三日目にはあなたは、元の職務に復帰し、ファラオに杯をささげます。」どうして「三本のつるが三日」なのかは判りません。神様がヨセフに示してくださったとしか言いようがないと思います。ヨセフは、このように夢を解き、そしてこう付け加えました。14節「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。わたしのためにファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください。」給仕役の夢が良い夢であったことをヨセフに告げられたのを聞いていた料理役の長は、自分の夢もヨセフに告げました。「編んだ籠が三つ私の頭の上にありました。一番上の籠には、料理役がファラオのために調えた料理が入っていました。そして、鳥がそれを食べている。」そういう夢でした。ヨセフは、こう夢を解きました。「三つの籠は三日です。三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木にかけ、鳥があなたの肉をついばみます。」結果は、給仕役のそれとは正反対の、まことに不吉なものとなりました。
 そして、三日がたちました。この日はファラオの誕生日でした。給仕役の長と料理役の長が、ファラオの前で調べられ、給仕役は元の職に戻り、料理長は木にかけられてしまったのです。ヨセフの夢解きと同じ結果になったのです。
 問題はここからです。23節「ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。」とあります。ヨセフは給仕役の長に、14節で「あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。」と言っていたにもかかわらず、彼はヨセフのことを忘れてしまったのです。41章1節に「二年の後」とありますように、この給仕役がヨセフのことを思い出したのは、二年後だったのです。ヨセフは給仕役が元の職に戻ったということも風の噂で聞いたでしょう。あの人が自分のことを思い出し、この監獄から出してもらえる。そんな期待も持ったに違いありません。しかし、給仕役はヨセフのことなど忘れてしまったのです。何たることかと思います。しかし、この給仕役にしてみれば、自分が殺されるかもしれない、そういうぎりぎりのところで助かった、そのことで頭がいっぱいになっていて、ヨセフのことまで気が回らなかったのでしょう。私はこの給仕役の長を責めることは出来ないと思います。ここには、自分のことしか考えることの出来ない、私共自身の姿があるように思えるのです。人にしてやったことは覚えているのに、してもらったことは忘れてしまう。まことに不誠実なのです。これが普通なのでしょう。しかし、やがてこの給仕役はヨセフを思い出し、ヨセフはファラオの前に立つことになるのです。給仕役の長は、ヨセフのために思い出したわけではありません。ファラオか夢を見て、その夢を解く者がいなかったからです。夢を解く者を自分がファラオに紹介すれば、ファラオの覚えが良くなる、点数を稼げる、そんな思いからであったと思います。しかし、そんなことは大したことではありません。大切なことは、神様がその時を備えて下さったということなのです。

 ヨセフは給仕役のとりなしに期待し、待ったことでしょう。しかし、それは裏切られました。しかし、神の時が満ちたのです。私共は、自分がこれこれをしたのだから、きっとこうなると期待します。ヨセフもそうでした。しかし、なかなかそういうわけにはいかない。私は牧師をしていて、つくづくそう思わされます。これだけ家庭集会を開いた。伝道集会を開いて新来会者も来た。きっと何人もの求道者が与えられるだろう。そう期待するのです。しかし、期待通りになったためしがありません。求道者は与えられます。受洗者も与えられます。しかしそれは、私共の努力の結果ではないのです。自分が一生懸命に種を蒔いたと思ったところではないところから、起こされていくのです。不思議です。伝道というのは、車のセールスのようにはいかないのです。神様の選びがあり、神様の時があるのです。しかしそれは、だから何もしなくても良い、何をしても同じだということではないのです。私共が誠実に、精一杯主の御名の為に励む時、私共の思っている所ではない所から、道が開け、伝道が進展し、救われる者が与えられる。それは、神様のあわれみの現れなのです。
 私共は、この神様の「あわれみ」を信じて、今自分が出来ること、しなければいけないことを、誠実に精一杯するのです。神様は必ず、私共の思いを超えたあり方で、私共をあわれんで下さるでしょう。目に見える成果を求めず、それでも誠実に精一杯の業をささげていく。それがインマヌエルの信仰を与えられている私共の歩み方なのであります。良いですか皆さん、私共が主の御名の為に誠実に精一杯のことをするということは、それ自体が自分自身を神様に献げることであり、それ自体に意味があり、美しいことなのであり、御心にかなうことなのです。その結果、それが主の救いの御業に目に見える形で用いられるなら、それはそれで本当にうれしいことです。しかし、たとえそうでなくても、それはそれで良いのです。結果が問題ではないのです。私共は既に、主イエス・キリストの十字架と復活の御業によって救われている。この恵に感謝して、私共は主の御名のために献身しないではいられないのではないですか。
 前任地に永田長老という方がいました。この方のことは、既に何度か講壇で話したことがあるかもしれません。この方は戦争が終わって舞鶴に戻って来られてから、ずっと教会学校の先生をしていました。50年以上されました。教師が一人という時も長くありました。皆、小学校の時は来ても、中学になると来なくなります。私が赴任して5年後、教会学校から来ていて高校二年生になった男の子が洗礼を受けました。教会員の子ではありません。この男の子が洗礼を受けた時、この永田長老はすでに80歳を超えていましたが、現役の教師でした。そして、本当にうれしい顔をされて、こう言ったのです。「自分が教会学校で教えた子が目の前で洗礼を受けるのを見たのは初めてだ。いいもんだなあ。」私は自分の耳を疑いました。50年にわたって教会学校の教師をしていて初めてとは。教会学校の教師は、生徒が洗礼を受けていくのを楽しみにしているものでしょう。それが50年間無くても、毎週教会に一番早く来て、奉仕し続ける。この方は、本当に神様に献げる歩みをされてきたのだと、心を打たれました。インマヌエルの信仰に生きる者は、そのような生涯を神様の御前に為していくことが出来るということなのでしょう。
 今月は21日に伝道礼拝が為されます。その日の為に、私共も精一杯の献げる歩みを為してまいりたいと思います。

[2007年10月7日]

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