富山鹿島町教会

礼拝説教

「生ける神に立ち帰る」
詩編 118編1〜29節
使徒言行録 14章8〜20節

小堀 康彦牧師

1.主の救いの出来事に励まされて
 使徒言行録のパウロの第一次伝道旅行の箇所から御言葉を受けております。アンティオキア教会から祈りをもって遣わされたパウロとバルナバは、まずキプロス島に渡って伝道いたしました。そこでは魔術師との対決がありました。それから彼らは小アジア、現在のトルコですが、その100kmほど内陸に入ったピシディア州のアンティオキアで伝道しました。ユダヤ人の会堂でパウロが説教いたしますと大変な評判になり、次の週には、町中の人が来たかと思われる程の人々が集まりました。しかし、この成功はユダヤ人たちの反発を買い、追い出されるようにして、彼らは東へ100kmほど行ったイコニオンへ移ります。もちろん、イコニオンでも彼らはユダヤ人の会堂で主イエスの福音を宣べ伝えました。そしてここでもギリシャ人・ユダヤ人の双方から主イエスを信じる者が起こされました。しかし、この町でも彼らを排斥する運動が起きました。そこで彼らは更に数十km南へ下ったリストラの町へと向かったのです。
 最初のキプロス島でこそ何も起きませんでしたけれど、次のアンティオキア、イコニオンでは排斥運動によって、その地を追われるようにして次の町へと向かわねばならなかったパウロとバルナバたちでありました。彼らの伝道の旅は順風満帆というわけではなかったのです。主イエスを信じる者は確かに起こされました。しかし、排斥運動も起きたのです。このような場合、私共はどちらに心が向けられるでしょうか。排斥された、追い出された、そちらに目も心も向いてしまうかもしれません。そうすると、だんだん暗くなってきます。アンティオキアで、イコニオンで、追い出された。次のリストラでも追い出されるのではないか。そんな思い、不安が彼らを支配しそうな気もいたします。実際、リストラではパウロは石を投げつけられ、ほとんど死にかけるという事態まで起きてしまったのです。19〜20節「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。」とあります。
 しかし、彼らの伝道の旅が少しも順風満帆ではなかったにも関わらず、彼らには悲壮感がありません。突き抜けた明るさとでも言うべきものが、彼らにはあります。まことに不思議です。彼らは自信と確信に満ちて旅を続けていったのです。どうしてでしょうか。私は、その理由は、たとえその町で排斥運動が起き、追い出されることになったとしても、主イエスを信じる者が起こされたという事実、それが彼らの信仰、生きて働き給う神様への信頼を、いよいよ確かなものにしていったのではないか、そう思うのです。
 私のこの聖書の裏には、今まで洗礼を授けた人たちの名前が記してあります。その最初の人は、1988.10.2.という日付になっています。1988.4.3.に娘が幼児洗礼を受けましたけれど、これは伝道の成果とは言えません。私が神学校を卒業して初めて伝道者として東舞鶴教会に遣わされたのは1987.4.1.です。ですから、遣わされて一年半後に、初めての受洗者が与えられたことになります。私は、この初めての洗礼者が与えられるまでの一年半が、どんなに長かったかを今でもはっきり覚えています。初めての受洗者が与えられるまでの一年半、私の中にはいつも不安がありました。「自分が語っていることは、本当に正しいのだろうか。このままずっと受洗者が与えられないのではないだろうか。自分は伝道者としての適性がないのではなかろうか。」しかしこの最初の受洗者は、そんな私の中にあった不安を、すべて吹き飛ばしてくれました。「これでよいのだ。自分が救われ、教えられ、受け継いできた福音を語り続けていけばよいのだ。神様は私を伝道者として召し、立ててくださったのだ。」その自信と確信を与えられたのです。伝道者というものは、神様が起こしてくださるこの救いの出来事を目撃し、その業に用いられ、いよいよ自信と確信とを与えられて歩む者なのであります。そしてそれは、伝道者個人の問題だけではありません。教会もまた、そうなのです。受洗者が与えられる。このことほど、教会を明るく、元気づけるものはありません。主イエスの救いの御業が、そこにはっきりと現れるからです。パウロもバルナバも、御言葉を宣べ伝えていく中で主イエスの福音を受け入れ信じる者が起こされる、この出来事に出会い続ける中で、いよいよ自信と確信が与えられて伝道の旅を続けていったのでありましょう。

2.癒されるに相応しい信仰
 さて、今朝与えられております御言葉は、イコニオンを追われたパウロとバルナバたちがリストラの町へ行って、そこで為されたことが記されています。
 最初に記されているのは、パウロが、生まれつき足が悪くて一歩もあるいたことのない男の人をいやし、歩けるようにしたという奇跡です。8〜10節「リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、『自分の足でまっすぐに立ちなさい』と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。」とあります。
 パウロたちは、このリストラではユダヤ人の会堂で福音を宣べ伝えたのではなくて、町の広場か道端で話したようです。ひょっとすると、この町にはユダヤ人の会堂がなかったのかもしれません。そして、パウロが話すのを聞いていた人の中に、この足の不自由な人がいたのです。彼は足が不自由なのですから、多分、自分で求めてパウロの話を聞きに来たのではないと思います。彼は物乞いをするために、いつものように道端に座っていたのかもしれません。すると目の前にパウロが来て、説教を始めた。そういうことだったのではないかと思います。彼は、パウロが語る主イエスの福音を聞いていました。そして、この方は自分を救ってくれるかもしれない、この方におすがりしてみよう、そう思ったのだと思います。その心の動きを、パウロは見逃さなかった。それが9節の「パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め」ということです。「いやされるのにふさわしい信仰」というのは、そんなあるか無きかの信仰なのです。「この方は自分を救ってくれるかもしれない」という「期待」、そして「この方におすがりしてみよう」という「思い」です。これで十分なのです。この足の不自由な男の人は、自分はこれこれが出来る、だからこんな風にして奉仕しよう、神様のために働こう、そんなことは少しも考えなかったと思います。或いは、生涯この方に従っていこう、そんな堅い決意とも無縁だったと思います。ただ彼は、パウロが語る主イエスというお方におすがりしたいと思った。それで十分なのです。それで良いのです。いや、それが良いのです。
 時々、「クリスチャンになったらこんな風にしなければいけない。あんなこともしなければいけない。その決心がつかないので、洗礼はまだ受けられない。」という人がいます。多くの場合、それはその人が勝手に造り上げた「理想的キリスト者」の姿です。しかし、私はそんな理想的なキリスト者に出会ったこともありませんし、そんな決心をすべてしてからでなければ洗礼を受けられないなどとは、少しも考える必要はないのです。また、「聖書が良く分かったら洗礼を受けます。」という人もいますが、そういうことでもないでしょう。聖書は生涯をかけて読み続けても良く分からないところだらけです。キリスト者としての歩みも、聖書に記されていることが判るということも、キリスト者となってから、主の日の礼拝を守り、教会の交わりの中で少しずつ分かっていくものなのですから。
 パウロは、この男の人に向かって大声で「自分の足でまっすぐに立ちなさい。」と告げました。すると、この男の人は躍り上がって歩きだしたのです。もちろん、パウロにこのようないやす力があったということではありません。神様がパウロを用いて、いやしの業を為してくださったのです。

3.生ける神に立ち帰る
 しかし、問題はここで起きました。このいやしの奇跡を見た町の人々は、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスという、ギリシャの神様として祭り上げ、二人に向かって雄牛のいけにえを献げようとしたのです。ギリシャの宗教は多神教であり、偶像礼拝が為されておりました。これは日本の宗教土壌ととても似ていますので、リストラの町でこの時に起きたことは、私共日本人には良く分かると思います。生まれつき足が不自由で歩けなかった人が、目の前で歩けるようになった。こんな奇跡を見せられたら、この人は神様だと言って拝んでしまう。これは、今、日本に何百、何千とある新興宗教で為されていることと同じです。
 しかしこの時パウロとバルナバは、必死になって自分たちが神として拝まれることを止めたのです。このまま放っておいて、自分たちを神様に祭り上げさせておいて、そしてそれからイエス様を伝えるほうが伝道しやすいのではないか。そんな風に考える人もいるかもしれませんが、彼らはそんなことは少しも考えませんでした。何故なら、そんなことをしても、少しも主イエスの福音が伝わることにはならないということが明らかだったからです。パウロとバルナバは、人間を神としてしまうような偶像礼拝しか知らない人々を、「まことの神のもとに連れ戻す。生ける神に立ち帰らせる。」ために、主イエスの福音を宣べ伝えていたのです。自分たちが神となり偶像となってしまえば、彼らを偶像から引き離すことは出来ません。二人は服を裂いて群衆の中に飛び込んで行って、こう叫びました。15節「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたたちが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。」彼らが伝える主イエスの福音は、「偶像を離れて、生ける神に立ち帰」らせるものなのです。

4.天地を造られた唯一の神を宣べ伝える
 ここで注目すべきことは、パウロの語り口の変化です。パウロは、今までユダヤ人の会堂で語っておりましたから、旧約の歴史、イスラエルの歴史から、主イエスの福音を告げてきました。イスラエルの歴史は主イエス・キリストを目的とし、主イエスの十字架と復活によって与えられた救いこそ、神様の御心に他ならない。この主イエス・キリストこそ旧約において預言されてきた神様の救いの成就なのであると告げてきたのです。しかし、このリストラの町では旧約を知らない人に語るのです。そこではまず、神様が問題にならざるを得ません。ユダヤ人の会堂において語る時、神様は問題になりません。天地を造られた唯一の神、それは前提なのです。その神の御業として、御子イエス・キリストが与えられたこと、十字架による罪の赦しと復活による永遠の命の希望、それを与えた主イエスこそまことの神であることを告げることがパウロの説教の課題でした。しかし、聖書を知らない人々に語る時、まず問題になるのは神様なのです。
 このことは、日本において伝道する私共にとっても同じです。私は伝道者として歩みながら少しずつ分かってきたことは、日本人に伝道する場合に大切なのは、創世記と福音書であるということでした。イエス様を伝えるのですから、福音書が大切であることは言うまでもありません。しかし、それだけではなくて、創世記が重要になるのです。創世記に記されている天地を造られた神、生きて働き歴史を支配し導かれる神、その神の子が、その神がイエス・キリストとして、私共のために与えられたのです。この天地を造られた唯一の神ということがはっきりしませんと、どうなるか。イエス様が、奇跡をしたすごい人、愛を教えた偉い人になってしまう。すごい人、偉い人が神様になるのは、日本では少しも抵抗がない。そうすると、イエス様は、たくさんいる神様の一人になってしまうのです。それでは「偶像を離れて、生ける神に立ち帰る」ことにはならないのです。イエス・キリストという偶像が一つ増えただけになってしまうことになりかねないのです。
 パウロは、15節半ば「この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。」と言って、唯一の創造主なる神様を告げたのです。この「すべてのものを造られた」ということの中には、自分もこの方によって造られたということが含まれています。偶像は人が造ったものです。しかし、まことの神は人を、自分を造った方なのです。
 あるお寺の国宝・重要文化財の仏像についての番組をテレビでやっておりまして、その解説を聞いていて「おやっ」と思ったことがあります。そのお寺のお坊さんが、説明していたのですが、中央の何mもある大きな仏像は重要文化財で、横にある1mほどの小さな仏像が国宝だというのです。小さい仏像の方が古いからです。どうしてそうなるかというと、そのお寺が火事になった時に、大きな仏像は運べないので焼けてしまい、その後新しく造られた。だから重要文化財。しかし、小さな仏像は、その火事の時に寺の人たちが担ぎ出して難を逃れた。だから古い物なので国宝ということでした。なるほどと思いました。しかし、このお坊さんは自分でも意識していなかったと思いますが、この国宝の仏像は偶像にすぎませんと明言していたのです。この偶像について、イザヤ書46章6〜7節に有名な言葉があります。「袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は、鋳物師を雇って、神を造らせ、これにひれ伏して拝む。彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き、据え付ければそれは立つが、そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず、悩みから救ってはくれない。」まさに、火事の時に人間に担がれて難を逃れた、国宝の仏像そのものでしょう。しかし、まことの神様は私共を造り、私共を担われ、生まれたときから白髪に至るまで私共を背負い、救ってくださる方なのです。
 パウロは更にこう告げました。16〜17節「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」ここでパウロは「天地を造られた神様は、雨を降らせ、実りを与え、食物を与えてくださるというあり方で、自らの恵みを示してくださっていたのに、その神様の恵みを、あなたがたは偶像による恵みにしてしまっていた。時が来るまで、神様はそれを見過ごされてきたが、もうその時は過ぎた。主イエス・キリストによる救いの時が来た。ユダヤ人だけではなく、異邦人もまた、神の子、神の民となる時が来た。だから、偶像を離れ、天地を造られた唯一の神に立ち帰れ。この神は、人に運ばれなければ動くことも出来ない偶像ではなくて、生ける神なのだ。そのことを、この生まれつき歩くことの出来なかった男が躍り上がって歩き出すことによって、あなたがたは今、はっきり知らされたではないか。わたしたちはただの人間にすぎない。人間を神にしてはいけない。生けるまことの神は、天地を造られたただ一人の神なのです。」このように説教したのではないかと思います。こうしてパウロとバルナバは、自分が神とされるという、一番恐ろしい罪を犯させることを止めることが出来ました。そしてそれは、自分が神になるという、最も深くそして最も強い誘惑に、パウロとバルナバが勝利した時でもありました。ただ神にのみ栄光あれ。ここにしっかりと立たなければ、私共も、生ける神に立ち帰るようにと人々に力強く宣べ伝えていくことは出来ないのでありましょう。

5.生ける神の証人として
 さて、このような出来事の後、このリストラにも、アンティオキアとイコニオンからパウロとバルナバを排斥するユダヤ人たちがやって来ました。そして、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、殺そうとしたのです。パウロはほとんど死んだようになり、町の外に引きずり出され、捨てられました。この時パウロは本当に死んでしまったのか、死んだように見えただけなのかは分かりません。しかしパウロは、弟子たちが来ると起き上がりました。神様の守りとしか言いようがありません。生ける神様の不思議な守りと力は、生まれつき足の不自由な人の上にだけあったのではありません。パウロ自身をも、このように守ったのです。そしてパウロは何と、再びリストラの町の中へと入っていったのです。驚くべきことです。自分を石で打ち殺そうとした人たちの所に行ったのです。パウロを石で打ち殺したと思っていた人々、あるいはその話を聞いていた人々は、このパウロの姿を見てどう思ったでしょうか。驚き恐れたに違いありません。そしてその驚きと恐れは、主イエス・キリストを死人の中から復活させられた、生けるまことの神への畏れとなったのではないでしょうか。
 生けるまことの神はどこにおられるのか。それは、この生けるまことの神を信じる者と共におられるのです。このただ中におられるのです。そしてこのことは、私共自身が、このいやされた足の不自由な者のように、死んだと思ったのに生きていたパウロのように、生けるまことの神の力と愛と真実とを証しする者とされているということなのでしょう。私共は力もなく、弱く、愚かであります。しかし、だからこそ私共の力ではなく神の力が、私共の賢さではなく神の賢さが、私共の愛ではなく神の愛が現れるのです。神の救いの御業の道具、神の器とされていることを心から嬉しくありがたく受け取り、この新しい一週も主と共に、主の御前を、主の証し人として共に歩んでまいりたいと心から願うのであります。

[2009年11月15日]

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