富山鹿島町教会

礼拝説教

「長老の任命」
出エジプト記 3章16〜20節
使徒言行録 14章21〜28節

小堀 康彦牧師

1.来た道を戻る
 今朝与えられております御言葉は、13章から記されてきたパウロたちの第一回伝道旅行の結びの所です。シリアのアンティオキア教会から派遣されたパウロとバルナバの一行は、キプロス島から小アジアのピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベへと行きまして、そこから来た道を逆に戻るようにして、ただキプロス島に再び渡ることはせず、シリアのアンティオキアに帰って来ました。大変な旅でした。陸路だけでも1000km近く移動したことになります。船で移動した分も加えれば、その距離は2000kmにも及ぶ旅でした。どのくらいの時間がかかったのか正確には分かりませんが、2年近く費やした伝道の旅であったろうと考えられております。
 聖書の後ろに付いております地図「パウロの宣教旅行1」を見れば分かることですが、この第一回伝道旅行の最後の町デルベからシリアのアンティオキアに戻るには、来た道を戻るよりは、そのまま前に進んで東へ向かった方がずっと近いのです。船に乗って帰るための港に着くまでに、シリアのアンティオキアに戻れてしまいます。途中には、パウロの郷里であるタルソスの町もありました。しかし、彼らはそのような道を選ばず、来た道を戻るようにして、わざわざ遠回りをして戻ったのです。しかも、リストラでは石で打たれて死にそうな目にも遭いましたし、イコニオンでもアンティオキアでも排斥運動が起きて、追い出されるようにしてそれらの町を後にした彼らです。戻れば、また同じような目に遭うかもしれない。そう考えるのが普通でしょう。しかし、彼らはあえてその道を選んで、シリアのアンティオキアの教会へと戻って行ったのです。どうしてでしょうか。
 それは、彼らにはやるべきことがあったからです。彼らの旅は伝道旅行です。キリストの福音を宣べ伝え、キリストの弟子を獲得するための旅です。確かに彼らに対しての排斥運動も起きました。しかし、人数は分かりませんけれど、それぞれの町にはキリストを信じる者たちが起こされたのです。パウロたちは、その人たちを放っておくことは出来なかったのです。彼らの伝道は、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることであり、キリスト者を起こすことでした。しかし彼らは、自分たちの伝道というものを、キリスト者が起こされる、そのことだけで目的が達成されたとは考えなかったのです。キリストを信じた者がその伝えられた福音に留まり続ける、そこまでの責任を思い、為すべきことがあると考えたのです。このことは、私共の教会の言葉で言えば、伝道と牧会、あるいは伝道と教会形成というものがひとつながりのことであるという理解だと言っても良いでしょう。

2.羊飼いとしての伝道者
 リストラ、イコニオン、アンティオキアの町。パウロたちに対しての排斥運動が起きた町です。とするならば、これらの町でパウロたちが宣べ伝えた主イエス・キリストの福音を信じた人々に対しても、危険が迫っていたと考えるのが普通ではないでしょうか。もちろん、パウロやバルナバに対して為されたような仕方ではないかもしれません。しかし、主イエスの福音を信じる、主イエスの弟子として生きるということは、やはり困難を伴ったはずです。私共日本人のキリスト者は、先の大戦の時に信仰の先輩たちが味わった苦しみを忘れることは出来ません。主の日の礼拝に集うにも、自分が教会に入るのを見られないように、周りを見回して誰もいないのを確かめてから教会の門をくぐったという話を、この教会の最年長である●●姉から聞いたことがあります。それに近いものが、パウロたちの伝道によって主イエスを信じたリストラ、イコニオン、アンティオキアのキリスト者たちの上にもあったのではないでしょうか。
 21〜22節「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」とあります。パウロたちは、聖霊の働きによって主イエス・キリストへの信仰を与えられた人々が、困難の中にあってもその信仰を失わないように、信仰に踏みとどまるようにと励ましながら、帰路についたのです。
 伝道者にとって決定的に重要なことは、「語ったように生きる」ということです。語っていることと生きている姿が違っていれば、語った言葉に力はありませんし、誰も信用してくれないでしょう。私が洗礼を受けた福島勲という牧師は、敗戦の時に中国の大連で副牧師をしていました。その引き揚げの時の話を、神学生になってから何度も聞きました。敗戦となり日本に引き揚げるとき、福島牧師は奥さんと乳飲み子のお子さんを先に引き上げさせました。そして、ご自分は一人残って、教会員の家を全て訪ねて、全員が引き上げたことを確認してから大連を発ったということでした。一日遅れれば、それだけロシアの兵隊が近づいてくる。そういう中での行動でした。福島先生は、そうは言われませんでしたが、私はこの話を聞きながら「これが牧師というもの、羊飼いというものなのだ。」と心に刻みました。
 パウロたちは、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」と語りました。彼らは、この言葉に自ら忠実に生きたのです。だから、デルベから東へ進んでシリアのアンティオキアに戻るのではなく、来た道を戻った。自分たちに対して排斥運動を起こした町々を通って、そこで再び出会うかもしれない苦しみをも覚悟の上で、苦しみを避けるのではなく、その苦しみが神の国へとつながることを信じて、生まれたばかりのキリスト者たちを励ましつつ、帰路についたのです。

3.多くの苦しみを経て、神の国に入る
 ここでパウロたちが語った「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」という言葉ですが、これについて少し思いを巡らしてみましょう。この言葉の背景、源泉となっているのは、言うまでもなく、主イエス・キリスト御自身であります。主イエスは今、天の父なる神様の右におられすべてを支配しておられるのですが、天に昇られる前に、主イエスは十字架の苦しみをお受けになりました。十字架なくして復活・召天による主イエスの栄光はありません。主イエスを信じる者は、主イエス・キリストの復活の命、永遠の命をいただくのですが、この復活の命は十字架の死の後に続くものなのですから、私共は主イエスの復活の命と一つにされる以上、十字架の死ともまた一つとされるということなのです。私共はこのことをきちんと受けとめなければなりません。
 日本人の宗教感覚から言えば、自分が信仰を持ったのは自分の心が平安となり、日々の生活が安泰となるため、ということになるのかもしれません。だから苦しいことがあると、「こんなはずではなかった。」とか、「どうして神様を信じているのにこんな目に遭わなければならないのか。」とか、「神様はちっとも自分を守ってくれない。」といった思いが湧いてくるのでありましょう。しかし、私共のこの地上の生涯において、苦しいことが全くない、そんな人生はないのです。病気にもなりますし、老いの苦しみから逃れることは誰も出来ないのです。しかし、苦しみは苦しみでは終わらないのです。私共には神の国があるのです。私共はそこに入ることになっているのです。だから、多くの苦しみを受けても希望を失わず、信仰に踏みとどまって信仰の歩みを全うさせていただきたいと願うのです。この信仰に踏みとどまることが出来なければ、神の国の希望もまた、私共は失うことになってしまうのです。パウロはフィリピの信徒への手紙1章29節において「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」と告げています。主イエス・キリストを信じる信仰によって与えられる世界は、私共の人生から苦しみを取り除いて平穏に生きるというものではなくて、私共の人生から取り除くことの出来ない苦しみをも、神の国に至る歩みにおいて味わわねばならぬものと受けとめ、それを担い、持ちこたえていくというものなのです。苦しみというものが私共を信仰から離れさせるために作用するのではなく、いよいよ主イエス・キリストと私共を堅く結びつけるために作用するのです。それが、「苦しむことも、恵みとして与えられている」ということなのでしょう。
 誤解してはいけないのは、ここでパウロは、多くの苦しみを受けることが神の国に入るための条件だと言っているのではないということです。苦しみが救いの条件なら、何としてでも苦しみに打ち勝って神の国に入らなくてはならないということになってしまいます。そうすると、苦しみに負けない自分の信仰の熱心、信仰の強さということが問題になってきてしまいます。それは、新しい律法主義でしょう。そうではなくて、キリストを信じる信仰によって、私共はすでに神の国に入ることになっているのです。そしてその神の国への道には、必ず苦しみというものが伴うことになっている、主イエスが十字架の死の後に復活されたように、十字架の苦しみ抜きに復活がないように、私共が神の国へ入る道の上には、必ず苦しみがあるのです。しかし、神の国を見上げて、信仰に踏みとどまりなさい。そうパウロは告げているのです。主イエスが、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16章33節)と言われたのも同じことでしょう。

4.長老を立てる
 パウロたちは、キリスト者になったばかりの、しかも困難な中で信仰を守らねばならない者たちを慰め、励ましました。しかし、彼らがいつまでもその町に留まることは出来ません。そのために彼らは具体的な一つのことを為したのです。それが長老を立てるということでした。神の民には、旧約以来、神の民を指導し、導くために長老が立てられておりました。パウロたちは、新しく生まれたばかりのキリスト者の群れを、新しい神の民としてそこに建てていったのであります。ここでの長老を、現在の私共の教会の長老と同じものと考えることはできないでしょう。今で言えば、牧師と長老と執事を兼ねているようなものだったと思いますけれど、その目的ははっきりしています。この生まれたばかりのキリスト者たちの信仰がなくならないように、信仰に踏みとどまることが出来るように、励まし指導するためでした。これは、私共の教会においても同じです。この教会に集う一人一人の信仰が堅く保たれるように心を配り、指導するために長老会はあるのです。長老会の第一の職務は、教会の行事を決めることではないのです。この教会に集う羊を、神の羊として養い育て、その信仰を守ることなのです。これは、私共の言葉でいえば牧会ということになるでしょう。牧会は、長老会に委ねられた第一の職務なのです。このことを私共はきちんと受けとめなければならないと思います。

5.伝道報告
 さて、パウロたちは自分たちを送り出してくれたシリアのアンティオキアの教会に戻りますと、報告会を開きました。この長い旅の間に起きた様々なことを語ったことでしょう。しかし、その様々なことを通して明らかにされたのは、二つのことでした。一つは、神様が自分たちと共にいてくださったこと、もう一つは、異邦人に信仰の門が開かれたということでした。
 パウロたちは、この困難に満ちた伝道の旅において、改めて「神様が自分たちと共にいてくださる」ということを味わい知ったのです。命の危険さえありました。しかし、守られました。私共は、主の御用にお仕えする時、主が共にいてくださるということを本当に知らされるのだと思うのです。主の御業にお仕えする時、私共は様々な困難に出会います。何事もなくというわけにはいかない。そこで祈らざるを得ませんし、主によって道を拓かれるという経験をするのでしょう。そして何よりも、主イエスを信じる者が起こされるという出来事を目の当たりにして、そのことを深く思い知るのだと思います。私の伝道の働きが素晴らしかったから、力があったから、キリストを信じる者が起こされた。そんな風に考える伝道者はおりません。そんな風に考える者がいたら、そのような人こそ伝道者にはふさわしくない人でしょう。自分の無力を思わされ、しかしキリストを信じる者が起こされるという出来事を目の当たりにして、主が共におられるということを思い知らされていく。それが伝道者であり、伝道する教会なのであります。
 私共には何もない。力もない。知恵もない。金もない。しかし、主が共にいてくださる。この主にすべてを任せるならば、私共は自分の思いをはるかに超えた、神様の大いなる救いの御業を目の当たりにすることが出来るのです。私はそのような歩みを、この富山の地において、この教会と共に為していきたい、そう心から願っています。この富山に住む多くの人々に、主イエス・キリストを信じる信仰の門が開かれていきますように。

[2009年11月22日]

メッセージ へもどる。