富山鹿島町教会

礼拝説教

「ヨーロッパへの一歩」
イザヤ書 61章1〜4節
使徒言行録 16章6〜15節

小堀 康彦牧師

1.聖霊に導かれ
 イザヤはこう告げました。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。」(イザヤ書61章1節)このイザヤが注がれた神の霊をパウロも受けて、この霊に捕らえられ、主イエスの福音を告げ知らせるために立てられ、遣わされました。誰も、この神様の霊を受けなければ、福音を宣べ伝えることは出来ません。
 私共はパウロたちの第二次伝道旅行を記した御言葉を読み進めております。マルコのことでバルナバと別れて伝道の旅に出かけたパウロです。彼はシラスと一緒に出発しました。そして、第一次伝道旅行で行った町々、デルベ、リストラ、イコニオンを訪ねて、エルサレム会議で決まったことを伝えました。第一次伝道旅行は海路を通りましたが、今回は陸路を行きました。アンティオキアからデルベまでは300km位ですから、10日ほどかかったでしょうか。もちろん、パウロの目的は主イエスの福音を一人でも多くの人々に伝えることですから、単にエルサレム会議の結果を知らせるというだけではなくて、それらの町々においても主イエスの福音を伝えたはずです。パウロたちと再会したそれらの町のキリスト者たちは、大いに喜んだことでしょう。そして、パウロが告げる主イエスの福音を聞き、信仰を強められたに違いありません。またこの時は、まだ主イエスを知らない人々に主イエスの福音を伝える時ともなったと思います。「わたしたちにイエス様を教えてくれたパウロ先生が来てくれた。あなたもパウロ先生の話を聞きに来ないか。」そんな風に、皆が誘い合うようにして、パウロが語る福音を聞きに来たのではないかと思うのです。それが5節にある「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。」ということなのでしょう。実に、パウロたちは聖霊に導かれ、第一次伝道旅行で訪ねた町から町へと進んでいったのです。そしてこれらの町で、パウロはテモテという、生涯の同労者となった青年と一緒に伝道の旅を続けることになりました。

2.聖霊に禁じられて
 シラス、そしてテモテという良き助け手を与えられたパウロは、第一次伝道旅行で行った町々の先にまで、福音を伝えに行きたいと思いました。多分、更に西に向かって進みたかったのではないかと思います。ところがこの時、パウロたち一行に、予定外の何らかのアクシデントが起きたようです。6〜7節を見ますと、「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。」とあります。彼らは、イコニオンからそのまま西に向かって伝道していこうとしたのでしょう。しかし、それを聖霊から禁じられたのです。それで今度は、北に向かって伝道していこうとしたのですが、それも主イエスの霊によって許されなかったのです。
 伝道するために企てられた旅です。パウロは、伝道に伴う迫害ならば第一次伝道旅行でも経験していますし、それが理由で御言葉を語らないということは考えられません。この「御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」、「イエスの霊がそれを許さなかった」ということが何を指しているのか、昔からいろいろと論じられてきました。多くの人は、パウロの病気のことではないかと考えます。それは、ガラテヤの信徒への手紙4章13〜14節に「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。」とあります。ここで、パウロがガラテヤの教会に福音を伝えるきっかけとなったのは、パウロが体調を崩したことがきっかけであったと記されています。この手紙の宛先についてもいろいろと議論はあるのですが、ガラテヤの信徒への手紙がこの第二次伝道旅行で建てられた教会に宛てたものだと考えますと、この記述が、聖霊によって禁じられた、主イエスの霊によって許されなかった、ということに対応すると考えられるわけです。
 本当のところはよく分かりません。聖霊が何らかの幻をもって禁じたということも、もちろん考えられます。いずれにせよ、彼らは、自分たちが御心にかなっているに違いないと思った道を断念させられたわけです。挫折したのです。彼らは結局、自分たちが考えてもいなかった、トロアスという町に行き着いてしまいました。そこは、小アジアの西の端、しかもだいぶ北の方です。エーゲ海をはさんでギリシャに対している所です。前は海、後ろは聖霊によって禁じられた所。前にも行けず、後ろにも退けない。この時、パウロたち一行は途方に暮れたと思います。これから一体どう進んでいけば良いのか。もうアンティオキアに帰ろう。そんな考えも浮かんだかもしれません。
 この出来事は、私共に御心というものを考えさせます。これは御心にかなっていると信じ、考えて始めたことでも、挫折することがあるということです。理由は分かりません。ただそれが御心だからとしか言いようがない。「なぜ神様は、その全能の力をもって支え導いてくださらないのか。」そう嘆きたくなることがあるということです。伝道は良いことです。御心にかなっているに違いないのです。だから私共は、それを為すために計画を立てる。しかし、思うように事が進まない。そういうことがあるのです。それはつらい、厳しい時です。どうして神様は何もしてくれないのかと、神様を恨みたくもなる。しかし、こういうことだと思うのです。確かに、アジア州の人々にもビティニア州の人にも福音は伝えられなければなりません。しかし、それは今ではない、それはパウロたちによってではない、ということなのでしょう。神様には、この時に、この人によって、という御計画がある。そして、今あなたには別の為すべきことがある、ということなのでしょう。
 パウロたちはこの時、マケドニア、これはギリシャ半島ですが、そこに向かって伝道することを示されたのです。パウロたちの頭の中には、小アジアの町々への伝道しかなかったでしょう。しかし神様は、海を渡ってギリシャに、つまりヨーロッパに向かっての伝道を、パウロたちに用意されていたのです。私共はこう考えて良いのです。一つの道が閉ざされ、挫折するようなことがあったなら、それは御心ではなかった、そして、自分には別の道が用意されている、そう考えて良いのです。しかし、別の道へ行ってもダメだったらどうするのか?それも御心ではなかったのでしょう。この時パウロは、二度までも道を閉ざされたのです。どこにも行けない。そして新たな道が開かれたのです。

3.助けを求める一人の人の声を聞く
 ここでパウロたちに道が開かれた次第はこうでした。9節「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。」私は、ここで「一人のマケドニア人が」という所に注目すべきであると思います。この「一人のマケドニア人」というのは、マケドニア全体を代表している、マケドニアの人たちを象徴しているという見方も出来ます。しかし、私は単純に一人のマケドニア人と考えて良いと思います。たった一人のマケドニア人が助けを求めた。その幻を見て、パウロたちは、10節後半「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至った」のです。たった一人の人です。この一人の助けを求める幻に、パウロは神様の御心を見たのです。百人、千人、万人の人々が助けを求める幻ではありませんでした。たった一人です。この一人の助けを求める幻に御心を見たのです。
 これは重大なことだと思います。私共もこの感性を持たなければならないと思います。一人の人の助けを求める声を聞いた時、心が動くかどうかなのです。この人を助けることに御心があると確信することが出来るかどうかということです。御心を確信するということは、その人を助けるために全力を注ぐということでしょう。この人を助けるために、私共の歩みが変わるということです。この一人の人の声をきちんと聞いた時、伝道への道が開かれるのだと、私は思うのです。伝道のビジョンというものは、この声をきちんと聞けるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
 昨年の11月に日本伝道150年の記念式が青山学院であり、私も行きました。その時の主題講演をされた加藤常昭先生が語られたことの一つは、「教会学校に子供たちが来ない、教会学校の生徒が減っている、と言う。しかし、教会の外にはおびただしい数の子供たちがいて、助けを求めている。その声を教会は聞いているのか。その子供たちの叫びを聞いて、外に出かけて行っているか。ただ、教会学校の生徒の数が減っていると嘆いているだけではないか。それが伝道なのか。伝道というのは、この助けを求める叫びを聞き、そこに出かけていくことではないか。」ということでした。私はそれを聞きながら涙が出ました。助けを求める一人の声を、自分は本当に聞いてきたか。その一人のために全力を注いできたか。その一人に寄り添って歩もうとしていたか。悔い改めを迫られました。

4.「わたしたち」は
 ここで10節をていねいに見てみますと、「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。」とありますが、主語は「わたしたち」なのです。それまでは「彼ら」だったのです。6節を見ると、「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので」とありますし、4節も「彼らは方々の町を巡回して」とあります。どうして、ここから「わたしたち」なのか。これも諸説ありますが、この時から、つまりトロアスから、この使徒言行録の著者であるルカがパウロの一行に加わったと考えられるわけです。ルカは医者ですから、聖霊による禁止はパウロが病気であったという説を裏付けることにもなります。

5.ヨーロッパの初穂
 パウロたちは、この一人のマケドニア人の助けを求める幻を本気で受け取り、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至った」のです。そして、マケドニアへ向かって出発したのです。そしてここに、福音のヨーロッパへの一歩が刻まれたのです。これは歴史的な一歩でした。ヨーロッパはこの後一千年以上かけて、キリスト教社会、キリスト教文化を形作っていくことになりました。その一歩は、この一人のマケドニア人の助けを求める幻を、神様の御心として聞き取ったところから始まったのです。
 さて、パウロたちは船でマケドニアに渡り、フィリピの町へ行きました。この町にはほとんどユダヤ人がいなかったようです。というのは、ある程度ユダヤ人がいれば会堂があるはずですが、それがなかった。なかったから、パウロたちは、会堂がない時に川岸にあることになっていたユダヤ人たちの祈りの場へ行ったのです。そこには婦人たちが集まっておりました。パウロはその婦人たちに向かって話をしました。その中にリディアという婦人がいました。彼女は異邦人でしたが、ユダヤ教の神を崇め、ユダヤ教に帰依していた人でした。「紫布を商う人」とありますから、相当裕福な人であったと考えて良いと思います。紫布というのは大変高価なものだったからです。昔の日本で言えば、縮緬問屋の旦那様のようなものです。この婦人がパウロの話を聞いて、彼女もその家族の者も洗礼を受けたのです。これがヨーロッパにおける初めてのキリスト者です。フィリピの教会は、このリディアという婦人の家を集会の場所とし、またこの婦人の経済的な支えによって発展したと考えられています。そのことを示すために、15節に「そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、『私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください』と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。」という記述が為されているのでしょう。フィリピの教会は、パウロが書いたフィリピの信徒への手紙4章15〜16節に「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。」とあるように、パウロの伝道を経済的にも支え続けた教会であり、パウロと生涯うるわしい関係にあった教会です。その中心にこの婦人がいたことは間違いないと思います。
 このリディアという婦人がヨーロッパの初穂となりました。このリディアの後におびただしい数のキリスト者が誕生していくことになるのです。私の前任地の教会の婦人会は、リディア会と言っておりました。小さな町の小さな教会の婦人たち。しかし、その一人一人はリディアのように、その家の、その地域の初穂であり、その後にはおびただしい数のキリスト者が続いていく。そんな思いから付けられた名前でした。

6.主が心を開かせる
 このリディアが信仰を与えられた時のことを、聖書はこう記しています。14節後半「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。」彼女は注意深く聞いたのです。ただボーッと聞いていたのではありません。一つの言葉も聞き逃すまいと、集中して聞いたのです。そして、そのパウロの話を受け入れ、信じたのです。ここで聖書は、「主が彼女の心を開かれたので」と記します。神様に向かって、神様の言葉に向かって心を開く。これがなければ、いくら話を聞いても心には響きません。心に落ちてきません。「なるほどそうだ。これで生きていこう。」とはならない。どうしたらそうなるか。話し手の力量か。聞き手の理解力か。聖書は「主が彼女の心を開かれたので」と告げているのです。これは主が働いてくださらなければ起きないのです。信仰が与えられるとは、こういうことでしょう。主の言葉が告げられた時に、主が心を開いてくださる。そこで信仰が起こされるのです。とするならば、私共が祈り願うべきことは、主が働いてくださって心が開かれること、主の言葉が真実に語られ、それが受け入れられることでしょう。ここに焦点を当てて、私共の祈りが為されていかなければなりません。あの人、この人、そして私共自身の心が、神様に向かって、神様の言葉に向かって開かれるよう、祈りましょう。そこに信仰が与えられるからです。それこそ、私共が願い求めていることだからです。 

[2010年1月10日]

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