富山鹿島町教会

礼拝説教

「牢獄の中でも」
創世記 39章19〜23節
使徒言行録 16章16〜40節

小堀 康彦牧師

1.反発や抵抗にもかかわらず
 主イエスの福音が伝えられますと、その地にそれまであった宗教、風俗、習慣とぶつかるということが起きます。そしてそこでは、様々なレベルでの反発、抵抗というものを受けることになります。伝道の目に見えるところでの困難というものは、ここにあるわけです。この反発あるいは抵抗というものの根本には、まことの神様に従おうとしない人間の罪があるのですけれど、文化、風俗、習慣はその人間の罪と一体になっているものが少なくないものですから、その反発や抵抗は個人のレベルだけではなくて、文化、社会、或いは政治のレベルでも起きることになります。使徒言行録は、主イエスの福音が当時のローマ帝国の中に広がっていく中で伝道者たちが味わい、初代教会が味わった、この様々な反発や抵抗をいくつも記しております。しかし、聖書が告げておりますのは、そのような反発や抵抗にもかかわらず、主イエスの福音は広がっていったということです。神様の救いの御業を止めることは、どんな反発や抵抗の運動も出来なかったということなのです。
 私共は、使徒言行録を共に読み進めているわけですが、そこで知らされることは、この明るい見通しというものではないかと思います。反発にも遭う、抵抗にも遭う、しかしそれによって福音の前進が止まってしまうことはないという、確かな明るい見通しです。それはちょうど、私共が雪かきをしながらこの雪が降り止まないことはないことを知っている、或いはやがてこの雪がきれいに消えてなくなる春が来ることを知っているようなものです。

2.占いの霊に取り憑かれた女
 さて、パウロたちの第二次伝道旅行におけるフィリピでの出来事です。一人のマケドニア人が助けを求める幻に促され、神様の御旨と信じ、海を渡ってマケドニアに来たパウロたちです。まずフィリピの町で紫布を商うリディアという婦人とその家族が、主イエスの福音を信じ、洗礼を受けました。順調な滑り出しでした。ところが、ここで占いの霊に取りつかれている女奴隷につきまとわれることになってしまいました。彼女はパウロたちの後をついて来て、こう叫ぶのでした。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」この女性が叫んでいることは正しいことです。確かにその通りなのです。これは、頼みもしないのにパウロたちの宣伝役を買って出たようなものですから、パウロたちも初めは放っておいたのだと思います。しかしこれが何日も続きますと、さすがにうるさいと思ったのでしょう。パウロはたまりかねて、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」と、この女に取りついていた占いの霊に命じたのです。すると霊は出て行きました。
 このパウロの行ったことからはっきり分かることは、パウロはこの占いの霊を悪霊と見ているということです。この占いの霊と訳されている言葉は、元々、デルフィの神託という、ギリシャで信奉されておりました神様のお告げをする霊、アポロンの化身である大蛇の霊のことなのです。この占いの女性は、この町では有名だったのだと思います。ですから、この女性の叫んでいた「いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えている」という言葉は、「主イエス・キリストの福音による救いを宣べ伝えている神様の僕」という風には、きっと人々に受け取られていなかったと思います。彼女の叫ぶ言葉は、「この人たちはアポロンの僕で、皆さんにアポロンの神による救いを宣べ伝えているのです。」と聞かれたのではないかと思います。もちろん、それでは困るわけです。だからパウロは、この占いの霊を彼女から追い出したのだと思います。
 そして、パウロは、「イエス・キリストの名によって」この占いの霊を追い出したのです。これによって、主イエス・キリストはこの占いの霊、アポロンの霊よりも強い、まことの神であることを示したのでしょう。
 アポロンの霊に限らず当時のギリシャの宗教は、日本の場合と同じように、神様に従うのではなく、自分の利益、自分の願いを叶えてもらうための道具のようなものでした。これが偶像礼拝の本質です。パウロたちは、自分たちが告げる救いは人間の願いや欲を叶えるためのものではないことを、これによって明らかにしたのです。

3.パウロたちは訴えられ、捕らえられる
 しかし、ここで問題が起きました。この占いの霊に取りつかれた女奴隷の持ち主が、パウロたちを捕らえ、役人に引き渡したのです。パウロに占いの霊を追い出されてしまい、今までその占いによって金を儲けていたのにその道が断たれてしまったからです。この女奴隷は占いの霊に取りつかれていたので、パウロたちの後をついて叫んでいたのも自分からやっていたということではなく、占いの霊に引き回されてやらされていたということなのでしょう。そして占いの霊を追い出され、本当の自分に戻った。自由になった。彼女はきっと喜んだと思います。
 しかし、この女奴隷の主人は、金もうけの道を断たれたことに腹を立てたのです。そして、@この人たちはユダヤ人だ。Aこの人たちは町を混乱させている。Bローマ帝国の市民が受け入れられない風習を宣伝している。そう言って町の広場に連れて行き、役人に引き渡したのです。確かにパウロ達はユダヤ人でした。しかし、町を混乱させてもいないし、ローマ帝国の市民が受け入れられない風習を宣伝していたのでもありません。しかしこの訴え方には、主イエスの福音が伝えられた時の典型的な反発、抵抗の仕方が現れていると思います。当時ユダヤ人たちに対して、ギリシャ人には民族的な差別・対立感情がありました。理由は、ローマ帝国内でこの二つの民族、ギリシャ人とユダヤ人が商売においてのライバルだったからです。元々、唯一神教のユダヤ人と多神教のギリシャ人では、考え方も生き方も違っていたということもあったでしょう。それに加えて商売上の対立があった。そしてこのフィリピの町は、ユダヤ人がほとんどいない、ギリシャの町でした。そういう状況の中で、この占いの女奴隷の主人は、ユダヤ人に対しての反感というものをテコに、町を混乱させている、ローマが受け入れられない風習を宣伝しているというデマで、パウロたちを訴えたのです。
 これは、日本でも同じです。キリスト教は外国の宗教だ。先祖を大切にしない。キリスト教は人間の肉を食べ、血を飲む邪教だと言われました。先の大戦中は、宣教師はスパイだとも言われました。最近では民主党の小沢幹事長が「キリスト教は非寛容な宗教だ。」という発言をしました。何を根拠にそんなことを言えるのかと思います。実に、このような民族感情をテコに、ありもしないことで反キリスト教の空気を作るという反発と抵抗は、パウロの時代から変わらないのです。そして、パウロたちは鞭打たれ、足には木の足枷をはめられ、いちばん奥の牢に入れられてしまったのです。

4.牢獄の中での賛美と祈り
 大切なのはここからです。25節「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌を歌って神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」とあります。ローマの鞭打ちは、皮膚が裂け、肉が飛び散り、それだけで命を落とす人がいたほどの激烈なものでした。気を失い、息も絶え絶えになっているのが普通です。ところがパウロたちはこの牢の中で神様に賛美をささげ、神様に祈ったのです。牢の中にはほかの囚人たちもいました。彼らもまた、皆同じように鞭打たれて囚われていたと思います。そうであればこそ、パウロとシラスが神様に賛美をささげ、神様に祈るということがどれほど度外れたことであるかが分かりました。きっと、この牢獄に入れられた日、多くの人はただ呻いて夜を過ごしたのでしょう。そして、まだ元気のある人は自分をこんな目に遭わせた者を恨み、呪い、叫んで夜を過ごしたことでしょう。ところが、パウロとシラスは神様をほめたたえ、祈ったのです。パウロたちは、神様の救いを伝えるためにフィリピに来た。そして何も悪いことはしていないのに、こんな目に遭ったのです。神はどこにおられるのかと、神様を恨んでもしょうがないようなところでしょう。しかし、彼らは神様をほめたたえ、神様に祈ったのです。これを聞いた囚人たちは驚きました。一体この人たちは何者なのか。そうも思ったでしょう。
 ここで彼らが何を祈ったのかは書いてありませんので分かりませんけれど、私はこの三つのことは祈ったのではないかと想像します。
@主イエスを信じた人たちのために。彼らが信仰から離れないで、しっかり御国への道を歩んでいくように。また、彼らにこのような身の危険が迫らないように。
A主イエスの福音がいよいよ広がり、このフィリピの町の人々が救われていくように。
B自分たちを牢獄に入れた女奴隷の主人のために。また、自分たちを鞭打つことにしたフィリピの町の役人のために。「彼らの罪を赦してください。彼らは何をしているのか分からないでいるのです。」そう祈ったに違いないと思います。パウロたちはこの時、十字架の主イエスを見ていた。そして、三日目によみがえられた主イエスを見ていたのだと思います。
 牢獄の中でこの祈りを聞いたほかの囚人たちは本当に驚き、この人は何者なのか、とんでもない人だ、そう思ったに違いありません。そして、賛美です。自分がこんなひどい目に遭っても、その苦しみの中で神様をほめたたえている。神様を恨むのではなく、神をほめたたえる。この時のパウロたちの賛美は、朗々としたものでもなく、音楽的に美しいものでもなかったでしょう。息も絶え絶えの中での、か細い歌であったと思います。囚人たちはこんな人に会ったことはなかったと思います。そして、この時のパウロたちの声を、牢の看守も聞いていたのではないでしょうか。
 主イエスの福音に対しての反発と抵抗。キリストの教会は、どのようにしてその状況を突破していったのでしょうか。伝道者たちは、声高に叫び、反対し、実力行使で突破したのではないのです。祈りと賛美です。不当な扱いを受け、痛めつけられ、それでも彼らの口から神様への祈りと賛美を奪うことは出来ませんでした。そしてこの姿こそ、あらゆる反発や抵抗に対して最も力強く、主イエスの福音というものを証しし、主イエスの福音に対してのあらゆる反発や抵抗の包囲網を突破させていったのです。
 パウロたちは多くの人々を前にして福音を宣べ伝えましたが、それだけが伝道なのではありません。誰が見ても困った状態、どうしようもない厳しい状況、その中でもなお主をほめたたえる。それこそまことの信仰の証しでありましょう。私共は、パウロのように多くの人を前にして福音を語ることは出来ないかもしれません。しかし私共が、つらい状況の中にある時にも神様をほめたたえることが出来るなら、その時にもなお人を恨まず、その人のためにとりなしの祈りをささげるなら、それこそ最も力ある証しであり、伝道なのではないでしょうか。そしてこれは、誰が見ていなくても神様が見ていて下さる。そして、神様が何よりも喜ばれることなのです。

5.看守とその家族の受洗
 さて、その夜大地震が起きました。そして牢の戸がみな開き、囚人たちの鎖もみな外れてしまいました。これは、神様がパウロたちを憐れんで起こしてくださったものなのだと思いますが、驚いたのは牢の看守、番人です。囚人たちが逃げてしまえば、その責任を負わされて自分の命はありません。彼は、牢の戸が開いてしまったのですから囚人たちはみな逃げてしまったと思い、絶望し、その場で死のうとしたのです。その時、パウロが大声で叫びました。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は驚きました。明かりを持って来させると、確かにパウロもシラスもいます。彼は絶望の淵から助け出されたのです。そして、パウロたちに申し出ます。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」答えは実に単純でした。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」看守はパウロたちを家に連れて行き、鞭で打たれた傷の手当てをし、家族と一緒に洗礼を受けたのです。
 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」この御言葉にどれほど多くの人が慰められ、励まされてきたことでしょうか。そして、実際どれほど多くの家族が救われてきたことでしょう。この約束は真実です。しかしこの約束は、一人のクリスチャンが生まれれば、その家族がみんな自動的に救われるということではないでしょう。一人の人が主イエスを本当に信じれば、その信仰は愛する家族に伝わっていくものです。家族のために祈るでしょうし、何としても家族に福音を伝えようとするでしょう。そして家族も救われていくということだと思います。
 家族伝道は難しいと言われます。確かに、信仰者を一番近くで見ているのは家族ですから、「言っていることとやっていることが違うじゃないか。」という批判も受けやすいのです。しかし、家族の中にキリスト者が一人いれば、家族が主イエスの福音に触れるチャンスが非常に大きいということは間違いないでしょう。伝道にマニュアルがないように、家族伝道にもマニュアルはありません。ただはっきりしていることは、ここでパウロたちは「主イエスを信じなさい。」と告げたことです。主イエスを依り頼み、主イエスに自分の全生活、全存在を任せなさいと言われたのです。主イエスを信じるということは、自分の生き方、考え方の一つとしてキリスト教があるというようなことではないのです。そんなことでは家族に福音は伝わりません。私の全生活、私の全存在、私の人生の全てを、主イエスというお方に委ねる。この方と共に生きるということなのです。出来れば自分の子にも信仰が伝わればいいな、というようなものではないのです。この子に信仰を伝えないで、何を伝えるのか。何としても主イエスの救いに与って欲しい。それがキリスト者である親の生涯を貫く祈りです。この祈りは必ず聞かれます。この「何としても」というのが大切です。

6.パウロたちの釈放
 次の日、パウロたちは釈放を告げられました。何も法に触れることをしていないのですから当たり前です。しかし、パウロはここで、自分たちがローマ帝国の市民権を持つ者であることを明らかにし、フィリピの町の高官に非を認めさせました。ローマ帝国の市民権を持っているということはローマ法の保護の下にあるということで、このように正当な裁判も受けずに鞭打たれ、牢につながれるというような不当な扱いを受ければ、いつでもローマ皇帝に訴え出ることが出来たのです。フィリピの町の高官は、この失態がローマに知られれば失職しかねません。彼らはパウロのところに来て、詫びを言い、牢から連れ出したのです。このことは多分、フィリピの町で主イエスを信じる者となった人々に自分と同じ危害が加えられることがないようにという、パウロの配慮だったと思います。こうしてパウロとシラスは牢を出て、リディアの家に行き、彼らを励まし、次の町へと出発しました。

 パウロたちは鞭打たれ、牢にもつながれました。しかし、そのことが主イエスの福音の広がりを止めることはなかったのです。牢の中においても主は彼らと共にいて守り、看守が洗礼を受けるという伝道の場にしてくださったのです。それはちょうど、ヨセフが牢に入れられた時も主はヨセフと共におられ、そのことによってヨセフがエジプトのファラオと出会い、エジプト全土を任される者になる道が開かれた出来事と同じです。良い時も悪い時も、楽しい時も困難の時も、神様は私共と共にいてくださいます。そのことを信じ、祈りつつ、主を賛美して、この一週も歩んでまいりましょう。

[2010年1月17日]

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