富山鹿島町教会

礼拝説教

「まことの慰めと励まし」
列王記 上 17章8〜24節
使徒言行録 20章1〜12節

小堀 康彦牧師

1.再びマケドニアへ
 パウロは伝道者です。彼の思いの中にはいつでも、主イエスの福音を宣べ伝えること、そして既にキリストの福音を信じ救われた人々への牧会というものがありました。彼が3年近く拠点にしておりましたエフェソにおいて騒動が起き、その後、彼はこの町を離れてエルサレムへ向かいました。しかし、その行程はいささか複雑です。単にエルサレムに向かうのでしたら、エフェソから船に乗って地中海を渡って行くのが普通です。それが一番速いし楽なのです。ところが彼はそうしませんでした。東のエルサレムに向かうのではなくて、エーゲ海を渡って西のマケドニア州へ行ったのです。これは随分遠回りです。実際、パウロがエルサレムに着いたのは1年ほど後であったと考えられています。寄り道にしては長すぎますが、これには理由がありました。彼がマケドニアに渡った理由は、第二次伝道旅行の時にフィリピ、テサロニケ、ベレアなどの町々に建てた教会を訪ねるためであったと考えて良いでしょう。彼が第二次伝道旅行でそれらの町々を訪れ福音を伝えたのは、もう5年も前になるでしょうか。かつて自分が福音を伝えた人々と会い、しっかり信仰の歩みをしている様子を見たい、またその歩みを支えたい。彼はそう願ったのでありましょう。

2.励ますことと慰めること
 今朝与えられております御言葉の最初の所を見ますと、1〜2節に「励ます」という言葉が繰り返し用いられております。パウロは、エフェソの町を後にする際に、弟子たちを集めて励ましました。そして、マケドニアに来てからも、言葉を尽くして人々を励ましたのです。励ましながら、町から町へとパウロは旅を続けたのです。まるで、人々を励ますことが彼の第一の仕事であるかのようです。そうなのです。彼のこの旅の目的は人々を励ますことにあったのです。既に建てられた教会と、そこに集うキリスト者を励ますこと。それが第一の目的であったのです。
 信仰者を励ます。これは具体的にはどういうことなのでしょうか。私共も、同じ教会で信仰の歩みをしているあの人この人を励ましたい。そういう思いを持ったことは、誰にでもあると思います。しかし、実際励まそうとすると、何と言ったら良いのか分からない。言葉が出て来ない。そういう経験をされた方は多いでしょう。いったいパウロはどのようにして人々を励ましたのか。とても興味があります。しかし残念ながら、パウロがここでどんな言葉を語ったのか、何も記されていません。
 いったいどんな風にして、パウロは人々を励ましたのか。ここに一つのヒントがあります。それは12節の言葉です。12節「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」この「大いに慰められた」と訳されている「慰める」という言葉が、1〜2節で「励ます」と訳されていたのと、同じ言葉なのです。「励ますこと」と「慰めること」は同じ言葉だということは、覚えておいて良いでしょう。新約聖書では、文脈によって同じ言葉を訳し分けているのです。
 人々は、どういうことで慰められたのか。このことを見てみましょう。そうすれば、励ますということも判ると思います。

3.若者を生き返らせる奇跡
 パウロがトロアスに戻ってきたときのことです。1〜6節までの記事は大変短く行程だけを記しているのですが、エフェソからマケドニアへと渡り、そこからアカイア州に行き三か月過ごし、再びマケドニアを通ってトロアスに戻ってきた時のことです。ここには半年以上の時が流れています。
パウロは、トロアスに7日間滞在しました。そしてその時に、トロアスの教会の人々と主の日の礼拝を守ったのです。実は、7節にあります「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると」という記述は、キリスト者たちが主の日に聖餐を守りながら礼拝をささげたということが明らかにされている、最も古い記事なのです。週の初めの日、つまり日曜日です。すでにパウロが伝道した時から、キリスト者たちは日曜日にパンを裂く、つまり聖餐を守って礼拝をささげていたのです。そして、この礼拝においてパウロは話をした。これは説教と理解して間違いありません。つまり、説教と聖餐による礼拝が日曜日に守られていたのです。
 当時、日曜日は休みの日ではありません。ですから、日曜日に集まって礼拝を守るとすれば、二つの可能性しかありません。仕事が始まる前に集まるか、仕事か終わってから集まるかです。多くの場合、その日の仕事を終えてからみんな集まって礼拝をしたと思います。この時のパウロの話は夜中まで続いたというのですから、多分この時のパウロの説教は、夕方から始まったとしても2時間、3時間と続いたのでしょう。あまりに長いので、エウティコという青年が眠りこけてしまって、腰かけていた三階の窓から落ちてしまったというのです。この記事は「わたしたち」という主語で書かれていますから、この使徒言行録を書いたルカもこの場に居合わせたと思います。彼は医者でした。その医者であるルカが、9節「起こしてみると、もう死んでいた。」と記しています。大変なことが起きてしまいました。当然、皆、大騒ぎです。礼拝どころではない。パウロも三階から降りて来ます。そして、パウロは死んでしまった青年エウティコを抱きかかえ言うのです。「騒ぐな。まだ生きている。」これは、死んだと思っていたけれども生きていた。そういうことではないのです。医者であるルカがその死を確認しているのです。これは、死んだ青年が生き返らされたということなのです。
 死んだ者が生き返るというのは、旧約のエリヤやエリシャによっても為されていますし、主イエスもラザロや会堂長ヤイロの娘を生き返らせています。それらの奇跡で明らかにされたことは、全能の神がその人と共におられるということでした。そして、先ほどお読みいたしました列王記上17章24節において、自分の息子をエリヤによって生き返らせてもらった婦人が言ったように「あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」ということが、この出来事によって示されたということなのです。
 そして、パウロはまるで何事もなかったかのように、また三階に上って聖餐を行い、説教を続けました。そして、人々は大いに慰められた。大いに励まされたのです。つまり、全能の生ける神が共にいてくださっている。この人の語る言葉は真実だ。このことが明らかにされることこそが、人々を慰め、人々を励ますということなのであります。そしてそれは、何よりも説教が語られ、聖餐を守るという主の日の礼拝においてこそ示されることなのです。

4.代わって信じ、代わって祈る
 私共は人を慰めたい、励ましたいと思っても、何と言って良いのか分からない、言葉が出ない。それは正直な思いでしょう。しかし本当は、私共が何かを言って励ますこと出来る、慰めることが出来るということではないのではないかと思うのです。その人が慰められる、励まされるということがあるとすれば、それはその人が「神様が自分と共にいてくださる」ということを悟る、このことによってしか起きないのではないか。そう思うのです。いくら「頑張って。」と言っても、その人が本当に苦しい状況にあれば、「他人事だと思って。」と反感を買うということだって起きる。だから、何を言えば良いのかと困ってしまうのでしょう。
 パウロが人々を励ましたというのは、実に「主イエスはあなたのために、あなたに代わって十字架にお架かりになった。主イエスは復活され、私共に永遠の命への道を拓いてくださった。主イエスは今も生きて働いてくださっている。主イエスは今もあなたと共にいてくださる。あなたは神の子、神の僕とされている。あなたは神様の愛の御手の中にある。目の前の困難な状況がすべてではない。目を天に向けよ。キリスト者として生きよ。」そう語ったということではないかと思うのです。この主イエスの福音こそが、人々を励ましたのであり、この言葉が真実であることが判ったから慰められたのでしょう。
 ここでもう一つ大切なことは、この主イエスの福音の中にパウロ自身が生き切っているということなのです。神様は、あなたを愛しておられ、あなたと共におられる。愛する独り子を十字架にお架けになるほどに、あなたを愛しておられる。このことを語るパウロ自身が、この愛に生かされている。このことが何より大切なのです。
 もし、私共が人を慰め励ますことが出来るとするならば、それはその人が信じられなくなっている神様の御手の中にある明日、神様の真実な愛を、その人に代わって、その人の上に確かに備えられていることを信じる。それ以外にないと思います。その神様の愛を信じるが故に、「大丈夫。」そう言えるし、その人に代わって祈ることが出来るのでしょう。 私は牧師ですから、人を慰め励ますのが役目です。しかし、自分にはそんな力がないことをいつも思わされるのです。私に出来ること。それは、ただその人のために、その人に代わって信じること、そして祈ることです。人は本当にしんどくなると、祈ることさえ出来なくなるのです。神様の愛が、神様の導き、神様の支えが信じられなくなるのです。その時に、その人のために、その人に代わって、本気で祈る。その人と一緒に祈っても良い。どうして共に祈るのか。それは、祈ることさえ出来なくなった人と一緒に祈ることによって、あなたも神様の御前に居るではないか、そのことを思い起こさせる、神様の御前にある自分を回復させることになるからです。それが、私共に出来ることなのでしょう。もちろん、他にもあるでしょう。神様がその人を愛しておられるのですから、その神様の愛の道具として、その人のために精一杯のことを具体的にしてあげる。食事を作ってあげるでも良い。手紙を書くでも良い。何でも自分が出来ることをしたら良い。しかし、何より大切なことは、その人に向けられている神様の愛を信じることなのです。私共は、神様が生きて働いてくださっていることの証人として立てられているのですから。

5.コリントにて
 さて、パウロはマケドニアからギリシアに来たとあります。そしてそこで三か月過ごしました。このギリシアというのはアカイア州のことであり、もっと具体的に言えばコリントのことです。実は、東のエルサレムに行くのに西のエーゲ海を渡った一番の理由は、このコリント訪問にあったのです。コリントは、第二次伝道旅行においてパウロが一年半とどまって伝道し、教会を建てた町です。パウロはコリントの信徒への手紙を書いています。今は、コリントの信徒への手紙一、二の、二通の手紙の形になって残っていますが、本来は4通か5通の手紙がコリントの教会に向けて書かれたと考えられています。この手紙を読みますと、当時のコリントの教会が、教理的に、倫理的に、そして教会の関係的に、無茶苦茶になっていたことが分かります。このコリントの教会を何とかしなければならない。それがパウロの思いでした。ですから、エルサレムに戻ろうとしている旅の途中なのに、三か月もの間ここにとどまることにしたのです。この滞在中に、ローマの信徒への手紙が書かれたと考えられています。
 この三か月にわたるコリント滞在はどんなものだったのでしょうか。詳しいことは分かりません。しかし、コリントの信徒への手紙二の、このコリント訪問の後に書かれたと考えられている部分を読みますと、この訪問によってコリントの教会は悔い改めたようです。このことは、パウロにとって何よりのことでありました。自分が伝道した教会が信仰において崩れ、乱れている。彼はエフェソで伝道しながら、コリントの教会の様子を聞いては心を痛め、手紙も書きました。しかし、少しも良くなる様子がない。このことは、どんなにパウロの心を痛ませ、苦しませていたことかと思います。自分が行っても果たして受け入れられるかどうかも分からない。それ程にコリントの教会の状況は乱れていたのです。しかし、実際にコリントに行き、三か月の間キリストの福音を語り、人々と話し合い、祈りを共にしていく中で、コリントの教会の人々はまことの悔い改めへと導かれていったのです。
 先程、慰めること、励ますことについて思いを巡らしましたけれど、パウロがコリントの教会で行ったことも、基本的には同じであったと思います。励ましの言葉、慰めの言葉、それは主イエスの福音です。コリントの人々は、その福音に生きるパウロの口からそれを改めて聞く中で、まことの神様の御前に立たされ、悔い改めるに至ったのでしょう。もちろん、パウロは時として語気を強めたこともあったでしょう。しかしそれは、いわゆる叱りとばすというようなことではなくて、キリストの福音に生きるとはどういうことなのか、そのことを諭すということであったのだと思います。
 信仰者が神の御前にあることを忘れる時、教会はただの人の集まりに過ぎなくなります。ただの人の集まりならば、気が合う合わない、好き嫌いによって事が決められ、派閥、分裂、そういうことが起きるのは当然のことなのです。教理はただの理屈に過ぎなくなり、救いの喜びの言葉でなくなるのです。コリントの教会はまさにそういう状態にありました。パウロは、あなたがたは神様によって救われた、今生きているのは神の御前に生きているのだということを、福音を告げることにおいて示していったのだと思います。コリントの教会の人々は、神様の御臨在のもとに生きているという、当たり前のことをパウロによって受けとめ直し、悔い改めたのでありましょう。生ける神の御前であります。私共が神の御前における自分を回復するのが、この主の日の礼拝です。ですから、ここにおいてこそ、私共は慰められ、励まされ、悔い改めることが出来るのであります。

6.死を覚悟の歩みの始まり
 3節を見ますと、「パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。」とあります。パウロはコリントから直接エルサレムに向けて船に乗って行こうと思ったのですが、自分に対してのユダヤ人の陰謀、もっとはっきり言えば殺害の計画があることが分かったので、彼は陸路で北に向かい、マケドニアに戻って、そこからエーゲ海を渡ってトロアスに戻って来たわけです。今までも、パウロは伝道旅行を為していく中で、何度も命を奪われかねない危険な目に遭ってきました。しかし、この時からは、はっきりと自分の死というものを意識しての歩みが始まりました。ですから、トロアスにおける主の日の礼拝の長い説教というのは、パウロにしてみれば告別説教であり、トロアスの人々にとっては、もう会うことの出来ないであろうパウロによる最後の説教だったのです。ですから、彼はすべてを語ろうとし、いくら語っても語り終わらない。聞く方も、いつまで聞いても、これで十分とは言えない、もっと聞きたい。そういう説教、礼拝になったのでしょう。夕方から始まった礼拝の説教が、聖餐、エウティコの事故をはさんで、夜明けまで続いたというのはそういうことだったのです。説教は、長ければ良いというものではないことは当然ですが、短ければ良いというものでもありますまい。要は、キリストの現臨に触れる、キリストの御前でということが明らかになるということなのであります。

 私共は、キリストの御前に生かされていることを明らかにされた者として、ここから遣わされていきます。様々な課題があり、困難もあるでしょう。遣わされた場で多くの人とも出会っていく中で、神の愛、キリストの恵みの中に生き切っていただきたい。その力が、信仰が与えられるよう、祈りを合わせましょう。

[2010年3月14日]

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