富山鹿島町教会

伝道開始記念礼拝説教

「世がわたしを憎むとも」
詩編 38編16〜23節
ヨハネによる福音書 15章18節〜16章4節a

小堀 康彦牧師

1.私共の教会の伝道開始
 今朝私共は、伝道開始記念礼拝として主の日の礼拝を守っています。昨年まで、8月第一の主の日は夏期総員礼拝として、聖餐に与る礼拝を守って来ました。今年度は教会総会におきまして、この夏期総員礼拝を伝道開始記念礼拝として守ることが長老会から提案され、可決されました。『総曲輪教会百年誌』によりますと、1881年(明治14年)8月13〜14日の二日間、その年の5月に金沢教会を設立しました米国北長老教会の宣教師トマス・ウィン及び神学生など数人が、富山の旅籠町の山吹屋という家を借りて説教会並びに質問会を開いたという記述があります。来会者は、昼は100名程度、夜は300名に上ったそうです。大勢の人が集まったものです。これが、私共の教会の伝道開始であることは間違いありません。それから131年経ちました。この8月の第一の主の日、聖餐を守ると共に、この131年間の歩みを覚え、神様に感謝する礼拝をささげたい。それが、長老会が願ったことでした。
 131年前のこの富山における伝道開始は、人数を見ると100人、300人という人が集まったのですから大盛況と言うべきかもしれませんが、その中身はというと、盛況と言うにはほど遠かったと言わざるを得ないと思います。なぜなら、トマス・ウィンの一行は、金沢を出てまず七尾に行ったのですが、彼らがキリスト教の布教者であると聞くと、宿泊を引き受ける所がなかったというのです。七尾での二日間、彼らは夜に説教会を開きました。その時の聴衆は一日目100名、二日目260名であったといいます。ここでも大勢の人が集まりました。それから、一行は伏木に行きます。ところが、伏木では演説を始めるものの、盛んに土砂を投げつけられて何も出来なかった。そこで彼らはそこを去って富山に来たのです。伏木の人たちが特別キリスト教を敵対視していたということではなかったと思うのです。七尾における100人、260人という聴衆も、富山における100人、300人という聴衆も、何かあれば石を投げるような心持ちで集まった人たちだったのだと思います。この伝道旅行がどれほどの成果を上げたのかは分かりません。ただ、この集会に集まった人の中から次々と受洗者が出たということはなかったようですし、ここに集まった人たちによって教会が建てられていくということもありませんでした。その意味では、人数は集まったけれどそれ程の成果は上がらなかったと言うべきなのかもしれません。
 しかし、私共がここで目を向けなければならないことは、石を投げられようとひるむことなく、131年前にキリストの福音をこの富山の地に住む人々に伝えようとした人がいたということです。私はここに心を動かされるのです。トマス・ウィンは、アメリカ北長老教会の宣教師です。彼は、1877年にニューヨークのユニオン神学校を卒業し、すぐにイライザと結婚して日本に来ました。そして2年ほど日本語を研修するために横浜で待機して、1879年に第四高等学校の前身である石川県中等師範学校の英語教師として金沢に来ました。彼は、金沢に着くとすぐに伝道を開始します。そして、次の年の1880年には受洗者が次々と与えられ、翌1881年には金沢教会を設立するまでになりました。そして、その5月に金沢教会を設立するやいなや、彼は8月には七尾へ、伏木へ、富山へとその伝道の足を伸ばしたのです。彼はじっとしていないのです。私共の教会の伝道はそうして始ったのです。まるで、使徒言行録におけるパウロの歩みを見る思いがいたします。

2.世が憎むことを知っている者
 今、私は使徒言行録におけるパウロの歩みを見る思いがすると申しました。それはこのトマス・ウィンの伝道の足跡を辿る者は、誰もがそう思うのではないでしょうか。そして、それはまことに正しいのです。何故なら、パウロを伝道へと導いた方と、トマス・ウィンをこの日本伝道へと導いた方とは、全く同じお方だからです。復活の主がこの二人に働きかけ、聖霊を注ぎ、伝道の歩みへと導いたからです。
 パウロもトマス・ウィンも、伝道していく中で敵対視され、石を投げられることが幾度もありました。しかし、それにひるむことはなかった。何故でしょうか。それは、二人とも、そうなることを知っていたからです。逆に考えてみましょう。パウロもトマス・ウィンも、自分たちがキリストの福音を宣べ伝えたのならば、それを聞いた人は皆これを受け入れ、キリスト者になると考えていたでしょうか。私は、彼らはそんなことは少しも考えていなかったと思います。もちろん二人は伝道者なのですから、自分が伝える福音が国を超え、民族を超えて信じられ、救いをもたらすことを信じていました。しかし、自分たちが語る福音を聞いた者すべてがこれを受け入れ、信じるとは考えていなかったはずです。何故なら、二人とも主イエス・キリストが十字架に架けられたことを知っており、自分たちはこの方に従って行く者であることを知っていたからです。主イエスは言われました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコによる福音書8章34節)彼らは、この御言葉を自分に語られた御言葉として、しっかり受け止めていたはずなのです。
 今朝与えられている御言葉において、主イエスは18節「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。」と言われました。主イエスは、十字架にお架かりになる前に弟子たちに向かって、これから何が起きるのかを告げられました。そしてそれは、「世があなたがたを憎む」ということだったのです。このことは、今に至るまで少しも変わっていないと思います。私共の富山における131年間の歩みは、そのことをはっきり示しています。これはトマス・ウィンによって伝道が開始された当時だけのことではないのです。先の大戦の時、キリスト教は敵性宗教と見なされ、弾圧を受けました。この教会に集う人も数える程しかおりませんでした。これは、「世があなたがたを憎む」と言われた主イエスの言葉が本当であることを示しています。しかし、主イエスが「世があなたがたを憎む」と言われましたのは、そのような時代の流れの中だけのことではないのです。本質的に「世」と「キリスト」とは相容れない所があるということなのです。
 神様は、この世界とその中のすべてのものをお造りになりました。しかし、世はそのことを認めず、自分を造ってくださった神様の前に膝をかがめることをしないのです。神を神とせず、自らを神とし、自分の願いをかなえるために偶像を造るのです。神様は、そのような世を尚も愛し、これを救うために愛する独り子イエス・キリストを与えられました。しかし、世はこれを受け入れず、十字架につけたのです。自らを神とする「世」は、まことの神と敵対せざるを得ないのです。これが「世が憎む」本当の理由です。自らを神とする「世」は、時に政治やこの世の権力者の姿をとり、時にイデオロギーの姿をとり、時にお金の姿をとります。様々な姿をとりますが、その根っこにあるのは自分の欲です。神様に従うことより自分の欲を満たすことを優先する罪です。この罪にまみれた「世」は、主イエス・キリストに敵対することになるのです。

3.世に属していないキリスト者
 19〜24節「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。」とあります。
 キリスト者は世に属していない。神様に選び出され、神様のものとされた。だからキリスト者は、自分の欲、自分の願いよりも優先するものがあることを知り、それに従って生きるのです。それは神様の御心です。この神様の御心とは、このヨハネによる福音書の言葉で言うならば、15章12節「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」ということです。「わたしがあなたがたを愛したように」というのは、主イエスが十字架に架かってまで私共の罪を赦そうと愛してくださったようにということです。この主イエスの愛は、世が求め続けている「自分の幸せ」「自分の利益」「自分の喜び」といったものと対立します。自分を捨てて愛することだからです。この神様の御心に従おうとするキリスト者は、世に属していないのです。世から選び出され、神様のものとされているのです。だから、世はキリストを憎み、キリスト者を憎むのです。自分の罪が明らかにされるからです。ちょうど、ゴキブリが光を嫌うのと同じです。
 少し具体的に考えてみましょう。私共は自分が正しいことを主張しようとする時、どうするでしょうか。相手の間違いを指摘するのではないでしょうか。「あなたは間違っている。だから、私は正しい。」と言うのです。でも、「あなたは間違っている。そして、私も間違っている。」ということだってあるはずです。まことの神様の前に立つ時、私共は、本当に正しいのは神様だけであることを知ります。自分は欠けに満ちた罪人であることを知ります。その時、私共は「あなたは間違っている。そして、私も間違っている。」ということが言えるようになるのだと思います。しかし世は、「私は間違っている。」とは決して言いたくないのです。だから、それを認めさせようとするキリストを憎むのです。
 自分をどこまでも正しいとする、それが自分を主人とすること、自分を神とすることなのです。主イエスが私共に求められていることは、この「自分をどこまでも正しいとする」ことを捨てることなのです。正しいのは神様だけです。私共は、どんなに正しいと思うことをしても、どこかで自分を一番にしてしまう罪を引きずってしまっているものなのでしょう。だから、神様に赦しを求めなければならないし、この神様の前に赦してもらうということがなければ、互いに赦し合う交わりを形作ることは出来ないのです。
 使徒パウロがトマス・ウィンが宣べ伝えたキリストの福音は、主イエス・キリストによってすべての罪は赦されたのだから、ここから新しくやり直そうというものです。「こり固まった自分の正しさを捨てて、主イエスの赦しに与ろう。主イエスの赦しに与るなら、神の子、神の僕として、あなたは新しく歩み直せる。」そう招いたのです。
 16章1〜2節「これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。」と主イエスは言われました。実際、このヨハネによる福音書が記された紀元後90年頃、キリスト者はユダヤ人の会堂から追放されるということが起きていたのです。このようなことが起きる中で、「つまずいてはならない。わたしにつながっていなさい。わたしはこうなることを知っていたし、そうなると語ったではないか。」そう主イエスは言われたのです。

4.聖霊が言葉を与える
 私共も、キリスト者であるということで家族や友人から変な目で見られるということがあるかもしれません。日本では、キリスト者はまだまだ少数派であり、キリスト教がどんなものだか知らない人ばかりなのですから、これは仕方がないことです。15章21節「しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。」とあるとおりです。しかし、私共はそのようなことでひるんではなりません。彼らは知らないだけなのですから、知るようになればまた話は別です。まずは知ってもらいましょう。そのために私共は先に召されたのですから、私共の口と行いをもって、キリストの福音がどんなに素晴らしいかを知ってもらいましょう。知った人すべてがキリストの福音を受け入れるということではないでしょう。しかし、それは相手が決めることであり、私共の責任の外のことです。
 私共が主イエスの素晴らしさ、福音の恵みを知らせると言っても、自分はどう語れば良いのか分からないと思う方もいるでしょう。しかし、心配は要りません。ルカによる福音書12章11〜12節「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」と主イエスは言われました。また、今朝の御言葉では26節で「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」と言われています。聖霊なる神様が、語るべきことをちゃんと教えてくださいますから、安心して、主イエスのことを伝えようとしさえすれば良いのです。
 私共は神学者ではありませんから、主イエスの素晴らしさを理路整然と過不足無く語るなどということは出来ないでしょう。そうならなければ語れないということならば、私共は一生語れないでしょう。しかし、聖霊なる神様が言葉を与え、導いてくださるのです。このことは、実際に語り始めればすぐに分かることなのです。私共が語りますと、相手は必ず何らかの反応をします。それは肯定的であるとは限りません。それどころか、否定的な「どうして、そうなの?」といった問いかけを受けることが多いでしょう。この問いかけを受けて、私共の頭の中は回転し始めます。以前牧師がこんな事を言った、聖書にこんな御言葉が記されていた。様々なことが思い起こされます。そして、その人に対して、自分の言葉で何とか答えようとするでしょう。その時、必ず聖霊の導きというものがあるのです。前もって考えていたというようなことではなくて、その時、その人に対しての言葉が与えられるのです。

5.聖霊に啓迪せらる
 今朝私共は、信仰告白として、1890年に日本基督教会が制定致しました信仰の告白を用います。今私共は日本基督教団に属しておりますので、毎週の主の日の礼拝では1954年に制定されました日本基督教団信仰告白を用いています。しかし、その信仰告白が制定される前から、私共はこの地で伝道をしておりました。そして、その時に用いられていたのが、この日本基督教会信仰の告白、通称1890年告白と言われているものです。明治23年の制定ですから、日本語として難しい所もあります。
 6行目に「古の預言者使徒および聖人は、聖霊に啓迪(けいてき)せられたり。」との告白の言葉があります。預言者、使徒というのは、旧新約聖書を記した人々のことでしょう。そして、聖人とは二千年の間にキリスト教会に連なってきた代々の聖徒たちのことです。この聖人の中には私共も含まれているのです。その人たちが聖霊によって啓迪されてきたと告白しているのです。「啓迪」というのは難しい言葉ですが、教え導くという意味です。私共は131年間この地で聖霊に啓迪されて福音を伝えてきました。そして、今も私共は聖霊に啓迪されて、主イエスの救いの御言葉を与えられ続けているのです。私共は、聖霊に啓迪されるがゆえに、主イエスの救いの恵みを人々に伝えていくのです。
 私共は今から聖餐に与ります。この聖餐において、私共は主イエス・キリストとつながり、一つとされ、まことに神の子、神の僕とされている幸いを知らされます。これは、この世のいかなる力によっても奪われることのない恵みであります。私共は、この恵みの中にとどまり、聖霊の導きの中、キリストの救いの恵みをこの地に住む一人一人に伝えて行くのです。その様な者として、私共の教会は131年間この地に建ち続けてきたのですし、これからも建っていくのです。

[2012年8月5日]

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