富山鹿島町教会

礼拝説教

「空虚な墓」
詩編 16編7〜11節
ヨハネによる福音書 20章1〜10節

小堀 康彦牧師

1.主の日の礼拝
 私共は今ここに集い、主の日の礼拝をささげています。この「主の日の礼拝」を、主日礼拝と呼んだり、聖日礼拝と呼んだり、週報には公同礼拝と記しています。いろいろな呼び方がありますが、私共の教会が連なっております全国長老連合会では、数年前に『主の日の礼拝の指針』というものを採択致しまして、私共の礼拝に対する理解がはっきり示しました。そこには、私共が毎週守っておりますこの礼拝を「主の日の礼拝」と呼ぶと明示されております。この呼び方というものには慣れとか習慣というものもありますので、私は意識して「主の日の礼拝」と言うようにしています。もちろん、それ以外の呼び方をしてはいけない、用いてはいけないという意味ではありません。それぞれの呼び方には歴史もあり意味もあるのですから、それは尊重されて良いのです。しかし、「主の日の礼拝」という呼び方を用いることにしたのにも理由があります。それは、私共が今捧げておりますこの礼拝は、主イエス・キリストが復活された日、その日を覚え、その出来事を記念して守られる礼拝であるということです。
 どうして私共は日曜日に礼拝を守っているのか。それは改めて申し上げるまでもないことですが、主イエスがこの日に復活されたからです。キリストの教会が誕生したばかりの頃、キリスト者たちは、主イエスが復活された日曜日、まだ日が昇らない暗いうちに集まって礼拝をささげていました。その頃、日曜日は休みではありませんでした。休みの日ではないから、今私共が礼拝しているような時間帯に集まることは出来なかったのです。日曜日が休みになるのは、ずっとずっと後のことです。日曜日が休みだから礼拝をすることにしたのではなくて、キリスト教が社会全体の宗教となる中で、礼拝を守るためにこの日を休みとすることにしたのです。
 一番初めのキリスト者たちの多くはユダヤ人たちでした。彼らは、安息日として土曜日に礼拝をしていました。これは、神様が六日間で天と地とその中のすべてを造られ、七日目に休まれたことに由来するのですが、十戒の第四戒に「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」とありますので、週の終わりの日である土曜日を安息日として守り、礼拝をささげておりました。しかし、キリストの教会は、週の初めの日、つまり日曜日ですが、この日に主イエスが復活されたので、この日を「主の日」と呼んで礼拝を守ることにしたのです。
 週の終わりの日の土曜日の安息日から、週の初めの日の日曜日の礼拝への変更は、ユダヤ教からの分離ということを意味しました。これを行うには大変厳しい戦いがあっただろうと思います。しかしどうしても、これをしないわけにはいかなかった。それは、この主イエス・キリストの御復活こそ、キリスト者の信仰の源であり、希望の源であり、自分が新しく造り変えられた根拠であり、この世界が全く新しい時代に入ったことを示す出来事だったからです。だから、週の初めの日を「主の日」と呼んで、この日に主の御復活を覚えて礼拝をささげることにしたのです。当然、ここでささげられる礼拝は、この日に復活された主イエス・キリストを救い主としてあがめ、ささげる礼拝です。
 余談ですが、最近手帳を買おうとすると、スケジュール表が月曜日から始まっていて、日曜日が一番後になっているものが多くなってきました。日曜日から始まっている物を探す方が大変です。これだと、週の初めの日が月曜日になってしまいます。困ったことだと思います。

2.週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに
 今朝与えられておりますヨハネによる福音書20章は、主イエスの御復活の出来事を記しているところですが、その冒頭には「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」とあります。この福音書が記された時代、主イエスの御復活の出来事を記したこの福音書の記事は、主の日の礼拝の中で読み上げられたに違いないのです。そして、この言葉を聞いた時、人々は「今、自分たちが守っているこの礼拝の時に、主イエスは復活されたのだ。」そう思ったに違いないと私は思うのです。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」集まって主イエスを礼拝している人々に向かって、「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」主イエスは復活されたのだ、と告げる。私たちはこの方を拝むために集まっているのだ、そのことをはっきり示されたのです。

3.信じがたい主イエスの復活
 最初に主イエスの墓に行ったのはマグダラのマリアでした。他の三つの福音書に記されているように、彼女一人で行ったのではないと思います。何人かの婦人たちと一緒に行ったのでしょう。それは、2節に「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」とあり、「わたしたち」と言っていることからも分かります。
 彼女たちが主イエスの墓に行ってみると、墓の入り口をふさいでいるはずの大きな石が取りのけてありました。ユダヤの墓は横穴です。地面を掘った縦穴ではありません。「おやっ。」と思ったことでしょう。そして、中をのぞいて見たに違いありません。すると、そこにあるはずの主イエスの遺体がなかったのです。彼女は空虚な墓を見て、誰かが主イエスの遺体を運び出した、そう思ったのです。主イエスが復活されたとは思わなかったのです。聖書は正直にそのことを記しています。それはどの福音書も同じです。マグダラのマリアを始め、主イエスの弟子たちは、主イエスが復活されることを信じて、そのことを期待して待っていたなどとは記していないのです。それは、マグダラのマリアもペトロもヨハネも、復活された主イエスに出会った弟子たちの誰も、そんな風に語っていなかったからでしょう。これが作り話ではないからです。作り話なら、もう少しペトロたちを立派な信仰者として描くでしょう。キリストの教会は、この復活された主イエスと出会った弟子たちによって伝道が為され、建てられていったのですから、その弟子たちを立派な信仰者として描いた方が良かったはずなのです。しかし、そうは福音書は記さない。それは、弟子たちの証言の中に、「私は初めから主イエスの御復活を信じていた。」というようなものは一つもなかったからです。主イエスは十字架に架かって死なれる前、弟子たちに何度も、御自身の受難、十字架、復活を予告されました。しかし、いざ主イエスが本当に十字架に架けられて死んでしまうと、弟子たちは、主イエスが復活すると予告しておられたことなど、きれいさっぱり忘れていたのです。覚えていたかもしれませんが、誰も本気でそれを信じていなかったのです。不信仰と言えば不信仰かもしれません。しかし、復活とはそういうことなのではないでしょうか。信じようがない。それ程までにあり得ないこと、考えられないことなのでありましょう。しかし、それが起きた。その方に会った。この事実と共に、この証言と共に、キリストの教会は建ったのです。
 私が最初に教会に行ったのは28年前の4月でした。イースター前後だったのかもしれません。牧師は主イエスの復活の説教をしていました。その時の私の正直な思いは、「バカじゃないか」でした。とても、まともな人が受け入れ、信じられるようなことではないと思いました。そもそも、復活などということを信じている人がいる、ということが信じられなかった。だから、ここにいる人は信じているふりをしているのか、頭がおかしい人たちなんだと思ったのです。とんでもない所に来てしまったと思ったのです。この印象は強烈なものでしたから、今でも覚えています。
 この主イエスの御復活という出来事は、現代人だから信じ難いということではありません。二千年前だって信じ難いことだったのです。使徒言行録17章には、パウロがアテネで伝道した時のことが記されています。パウロが伝道のために話していると、外国の神々を宣伝していると思って、人々はパウロの話を初めのうちは聞いていた。しかし、パウロが復活ということを話し始めると、「ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った」(17章32節)のです。何をバカなことを言っているのかと思って、相手にしなかったのです。復活とはそういうものなのです。

3.見て、信じた
 マグダラのマリアは、主イエスの遺体が墓の中にないので、誰かに盗まれた、誰かに運び去られた、そう思って弟子たちのところへ走って報告に行ったのです。その報告を受けて、ペトロと「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」、これは伝統的にはこの福音書を記したヨハネと考えられていますが、この二人が走って主イエスの墓に行ったのです。愛する者の遺体が誰かに運び去られたと思ったら、また、そんな知らせを受けたら、「何ということだ。」と思って急いで行くのではないでしょうか。「そんなこともあるさ。」などと言って平気な顔をしていることなど出来ないでしょう。ペトロとヨハネが主イエスの墓に急いだ時も、主イエスが復活されたのかもしれないと思ったから走ったのではないと思います。彼らはこの時まだ、何が起きたのか分かっていなかった。
 主イエスの墓にはヨハネの方が早く着きましたが、墓の中をのぞくだけで、入りませんでした。確かに、マグダラのマリアの報告通り、主イエスの遺体はなかった。ただ主イエスの遺体を包んでいたはずの亜麻布が置いてあるのを見たのです。そして、後から来たペトロが墓の中に入りました。そこには、主イエスの遺体を包んでいた亜麻布と、頭を包んでいた覆い布が、少し離れて置いてあった。ペトロはそれを見、ヨハネもそれを見たのです。そして、信じたのです。
 何を信じたのか。それは、主イエスが復活されたということを信じたのです。どうしてか。もし主イエスの遺体が誰かに運び去られたのならば、わざわざ墓の中で遺体を包んでいた布をほどいて、それから運び去るなどということをするはずがないからです。8節の終わりにある「見て、信じた。」というのは、そういうことだと思います。言うなれば、目の前の状況を正しく把握して、合理的に判断して、主イエスは復活したはずだ、復活したに違いないと信じたということでありましょう。
 確かに、ペトロもヨハネも、この空虚な墓を見て信じたのです。しかしこれは、主イエスが復活したということを信じ、受け入れはしたのですが、それだけだったということです。主イエスが復活した。そのことを信じた。それで十分なのではないでしょうか。何か欠けがあるのでしょうか。大ありなのです。このような主イエスの復活の信じ方、受け止め方では、実は何の力にもならないのです。このことは私共の信仰においても大変重要な所です。私共も主イエスの復活を信じています。しかし、二千年前にそういう不思議なことがあった、そんな風に受け止めているだけならば、それは何の力にもならないのです。「見て、信じた」だけではダメなのです。
 「見て、信じた。」に続いて、ヨハネによる福音書はこう続けます。10節「それから、この弟子たちは家に帰って行った。」この弟子たちは主イエスの復活を信じたけれど、家に帰ります。家に帰ってどうしたのか。19節に「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」とあります。ペトロもヨハネも、主イエスの復活を信じた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて、家に鍵をかけて閉じこもっていたのです。主イエスを十字架に架けたユダヤ人たちが、主イエスの弟子である自分たちにも手を伸ばすのではないか、そう恐れていたのです。主イエスの復活を信じるということが、具体的に彼らを恐れから解き放つ力にはなっていないのです。その理由を、9節「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」と言っているのです。この書き方は、この時はまだ主イエスの復活という出来事を聖書の言葉とつなげて理解することが出来ていなかった。しかしその後、彼らは聖書の言葉と結びつけて理解することが出来るようになった。そして、今、主イエスの復活を信じている私共も理解することが出来ている。そう言っているのだと思います。

4.聖書の言葉を理解して、主イエスの御復活を受け取る
 では、この聖書の言葉を理解して主イエスの御復活を受け取る、信じるようになるということは、どういうことなのでしょうか。
 第一に、主イエスは誰であり、このことによって何が起きたのかが分かるということです。主イエス・キリストというお方が、天地を造られた神様の独り子であり、預言者が告げてきた救い主であることがはっきり分かるということです。そして、救い主が来られ、復活されたということは、新しい神様の救いの時が始まったということです。そのことが分かれば、当然、神様が全能の力をもってすべてを支配しておられ、その御手の中に自分も世界もあることを知るようになるでしょう。そして、この世界がどこに向かっていっているのかも分かるようになりますし、神の国に向かって歩む私共の歩み方も定まってくることになります。主イエスの御復活は、そのような神様の全能の力、御支配を明らかにし、私共をそれに絶対の信頼を置く者とさせるということです。
 第二に、主イエスの御復活の出来事が、私が救われることの根拠となり、救いの確信を私共に与えるということです。主イエスが復活されたということは、イエス様だけに起きたことですが、これは私共の初穂としてであって、私共もまた、主イエスが復活されたように復活する。私共の命は、この肉体の死をもって終わりとならない。私共も復活し、永遠の命に生きる者とされる、そのことを信じる者となるということです。肉体の死で終わらない命に自分が生きるのです。一切の罪が赦され主イエスと一つにされるという救いが、どんなに確かなものであるかがはっきりするのです。ですから、本当に復活ということが分かり、信じることが出来れば、私共は様々な恐れ、不安といったものから解き放たれ、喜び、平安、感謝、希望の中に生きる者とされるのです。
 そして、これこそが29節において「見ないのに信じる人は、幸いである。」と主イエスが言われた「見ないで信じる信仰」というものなのであります。
 こう言っても良いでしょう。「見て信じる信仰」は、まだ復活の主イエスと出会っていない信仰です。しかし、「見ないで信じる信仰」とは、復活の主イエスと人格的に出会い、この方との愛の交わりの中に生きる者とされた信仰ということなのです。分析し、合理的に判断して、「イエスは復活した」という結論に達したということではなくて、本当に主イエスは復活して、今も生きて働き、具体的に日々の歩みの中で私を守り、支え、導いてくださっていることが分かり、この復活の主と共に生きる者とされるということなのです。これがなければ、主イエスの復活を信じるといっても、本当の力にはならないのです。
 パウロが、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(コリントの信徒への手紙一1章18節)と言ったのは、この十字架に架けられた主イエスが復活されたからです。だから、私共に生きる勇気を与え、救いへと導く、神の力となるのです。十字架の上で死んで終わっていたのなら、私共を救う力とはならないのです。良い方だったけれど、知恵も力もある方だったけれど、死んで終わった。死は誰も超えられない。それでは、私の救いとはならないのです。せいぜい、このような良い生き方がある、見習いましょうというだけです。主イエスというお方は、そんな小さな存在ではないのです。そんなものなら、私共はあがめ、礼拝することなど出来ません。それなら十戒違反です。しかし、主イエスは十字架に架かって死に、本当に復活され、弟子たちと出会い、更に聖霊として主の日のたびに私共に語りかけ、生き生きとした交わりをもって導いてくださっているのです。このヨハネによる福音書を記した人は、あなたたちもこの「見ないで信じる信仰」を与えられているではないか。復活の主イエスの肉体は見ていない。けれども、この礼拝の中で語りかける主イエスの御言葉を聞き、この方と出会い、この方を愛する者とされているではないか。そう告げているのです。この今も生き給う主イエス・キリストとの交わりの中で、この一週も歩んでまいりましょう。

[2013年1月27日]

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