富山鹿島町教会

礼拝説教

「洗礼者ヨハネの死」
エステル記 7章1~4節
マルコによる福音書 6章14~29節

小堀 康彦牧師

1.洗礼者ヨハネの死がここに記されている理由
 今朝与えられております御言葉は、洗礼者ヨハネが少女の踊りの褒美に首をはねられたという、まことに痛ましい出来事が記されております。
 洗礼者ヨハネは、救い主であるイエス・キリストの到来を告げるために、イエス様の道備えをするために、神様によって遣わされた預言者でした。マルコによる福音書は、このヨハネの活動を記すことから福音書を書き出しておりますし、他の福音書もすべて、このヨハネの活動を、主イエスが活動を開始される前に記しております。彼は、人々に悔い改めを求め、その「しるし」として洗礼を授けました。イエス様も、このヨハネによって洗礼を受けています。それで、このヨハネのことを「洗礼者ヨハネ」とか「バプテスマのヨハネ」という風に呼んでいるわけです。イエス様が活動されるより前にこの洗礼者ヨハネが活動し、その活動はユダヤ全土で大変な支持を受けておりました。しかし、ヨハネは捕らえられてしまいました。マルコによる福音書1章14節には、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて」と記されております。ですから、洗礼者ヨハネが捕らえられたのは、イエス様が福音を宣べ伝え始めるよりも前のことでしたし、ヨハネが首をはねられたというこの出来事も、イエス様が福音を宣べ伝え始めてからあまり時が経っていない頃のことだと思われます。
 そんな前のことをどうしてここで記しているのかということですが、この出来事は、イエス様が人々を悔い改めさせるために12人の弟子たちを村々に二人ずつ遣わされたという記事と、弟子たちがその伝道の旅を終えてイエス様の所に来て報告したという記事との間に挟まれた形で記されております。弟子たちがイエス様に遣わされる、そして帰ってきてイエス様に報告するという一連の出来事の中に、あえて挟み込むようにして記されている。ちょうどサンドウィッチのようになっているわけです。このようなサンドウィッチ構造のものは、挟まれているものと挟んでいるものがばらばらのことを言っているのではなくて、挟まれているものが挟んでいるものをより明確にするために、強調するために、こういう構造にしてあると考えられるのです。この場合ですと、人々に悔い改めを求めるためにイエス様によって弟子たちが遣わされたわけです。そのことを更に明確に強調するためにこの記事があるとすれば、それはここに記されている出来事は、悔い改めというものがどんなに難しいことであるか、あるいは悔い改めないとはどういうことなのか、そのことを具体的に示しているということなのでありましょう。
 悔い改めるということが、イエス様の福音を信じてその救いに与るためにはどうしても必要なことです。そして、この悔い改めは、どうしても今までの自分が変わるということを意味するわけです。何も変わらないで悔い改めるということはあり得ない。しかし、人は変わりたいと思っても、なかなか変われない。あるいは、変わりたくないという、堅い、石のような心を持っているものなのです。これが砕かれませんと、イエス様の福音を受け入れることが出来ないわけです。この堅い、石のような心というのは、自らの罪を認めないというあり方で表れるものなのです。

2.ヨハネが生き返った?
 今朝与えられております御言葉は、三つの部分に分けられます。初めは14~16節で、人々はイエス様をどう見ていたのか、そしてヘロデはどう見ていたのかということが記されています。次は17~20節に、ヘロデがヨハネを捕らえた理由が記されています。そして21~29節に、どのようにしてヨハネは首をはねられることになったのかということが記されています。
 順に見てまいりましょう。14節「イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。」とあります。イエス様のことが人々の評判になり、遂にヘロデの耳にも入ったというのです。このヘロデというのは、イエス様がお生まれになった時に二歳以下の男の子を皆殺しにしたあのヘロデとは違います。二歳以下の男の子を皆殺しをしたヘロデは、ヘロデ大王と呼ばれた人ですが、この時には既に亡くなっています。ここに出てくるヘロデは、そのヘロデ大王の息子の一人でヘロデ・アンティパスという人です。彼は当時ガリラヤとベレアの領主でした。
 人々はイエス様のことを、「洗礼者ヨハネが生き返ったのだ。」「いや、エリヤだ。」「いや、昔の預言者のような預言者だ。」と、いろいろ言うわけです。人々は、イエス様がただ者ではないということは分かるのです。ただの人なら、イエス様がなさるような奇跡を行えるはずがないからです。それは正しいわけですが、イエス様が救い主だ、キリストだ、神の子だと言う人は誰もいなかったようです。そういう中で、ヘロデはどう思ったかと言いますと、16節に「ところが、ヘロデはこれを聞いて、『わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ』と言った。」とあります。ヘロデはヨハネが生き返ったのだと思ったというのです。ここには、ヨハネの首をはねてしまったことへの恐れというものがあると思います。彼は、確信を持ってヨハネの首をはねたのではないのです。成り行き上、そうなってしまったと言っても良いかもしれません。

3.神様の御前に生きるヨハネM
 そもそも、どうしてヘロデはヨハネを捕らえて牢に入れたのか。17~18節には「実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻へロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、『自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない』とヘロデに言ったからである。」とあります。このヘロデ・アンティパスは、異母兄弟であるヘロデ大王の息子フィリポの妻であったへロディアを妻としたのです。ヨハネはそのことを、律法に違反していると糾弾したのです。これは、十戒の第七の戒である、姦淫の罪を犯していることは明らかでしょう。民衆から大変な支持があるヨハネがそのように自分を糾弾するのを、領主であったヘロデは、黙って見ていることは出来なかったのです。それで、捕らえて牢に入れたということなのです。今の日本では考えられないことですけれど、このようなことはいつの時代でも起きましたし、今でも起きています。時の権力者が、自分に都合の悪いことを言う人を捕らえて牢に入れるというのは、どの国でも、いつの時代でも起きていることです。具体的な国の名を挙げなくても、皆さんいくつもの国を思い浮かべられるだろうと思います。
 領主ヘロデに対してこのようなことを大っぴらに言えばどうなるかということを、ヨハネ自身全く予想していなかったわけではないでしょう。しかし、ヨハネは言いました。何故でしょう。理由ははっきりしています。ヨハネが預言者だったからです。神様の御前に生きる者だったからです。ヨハネにしてみれば、領主であろうと誰であろうと、神様の御前に、御言葉に従って生きなければならないのであって、明らかに神様の御心に反している者を黙っておくことは出来ない。そういうことだったのだと思います。
 しかし、このヨハネの行動を自分に引きつけて思いますと、自分がその場に立ってこのような勇気ある言動が出来るという自信は全くありません。自分などは見て見ないふりをするのではないかとも思います。しかし、ヨハネも自分の勇気でこのようなことを言ったのではないでしょう。言うべき言葉を神様から与えられて、彼は語ったということなのでしょう。イエス様御自身、終末の預言を語られた時、こう言われました。ルカによる福音書21章12~15節「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張っていく。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。」ですから、その時が来たらその時のことで、聖霊なる神様が与えてくださる言葉を語れば良いので、前もってどうしようと考える必要はないのです。
 このヨハネに対しての態度が、ヘロデとへロディアとでは随分違うことが19~20節に記されております。「そこで、へロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。」妻のへロディアは、ヨハネを殺そうと思っていたのです。一方、ヘロデは、ヨハネを捕らえて牢に入れたといっても、それでもヨハネが正しい人、神様に遣わされた聖なる人であると分かっていたというのです。それ故、「彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた」というのです。このヘロデの心をどう理解すれば良いのでしょうか。私は、この時の領主ヘロデの心は、「悔い改めに遠くない」、そういう状態ではなかったかと思います。ヘロデはヨハネが語ることが正しいと分かっているのです。そして神様が自分に求めていることが何かということも分かっている。そして、分かるが故に、彼は「当惑した」のです。「そんなことを言われても困る。そんな風には自分は変われない。」と思った。だから当惑したのです。でも、ヨハネの語ることは正しいから、それを退けたり、まして殺したりすることなど出来ない。それどころか、ヨハネの語ることに喜んで耳を傾けていたのです。こう見てまいりますと、ヨハネを捕らえたのもへロディアの強い思いによるのではないか、そんな風にも思えてきます。

4.洗礼者ヨハネの首を
 そして、遂にその日が来ました。21節「ところが、良い機会が訪れた。」とあります。ヨハネを殺すのですからちっとも「良い」機会ではないのですけれど、それはヘロデの誕生日でした。地位の高い役人や軍人、有力者等々、ガリラヤの政財界の主立った人たちが集められ、宴会が催されたのです。その宴会の席で、へロディアの娘、これはヘロデとの間の子ではなく、前の夫との間の子と考えられています。聖書には名前は出て来ないのですが、その名はサロメと伝えられています。音楽や美術に興味のある方は、このサロメという名前を聞いたことがあるかと思います。様々な作品の題材となっています。それらの作品は芸術家の豊かな想像力の産物ですので、この聖書の場面の理解としてはどうかと思いますが、ここでは仮にサロメとしておきましょう。サロメはこの時はまだ少女と言われる年齢だったわけですが、この宴会の場で踊ったというのです。当時の宮廷の常識からすれば、王の娘が人前で、しかも宴会の席で踊るなどということは、全く考えられないことでした。考えられないことだからこそ、大いに盛り上がったのでありましょう。ヘロデは酒の勢いも手伝ったのでしょう。少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前が願うなら、この国の半分でもやろう。」と言い、固く誓ったのです。少女は座を外し、母親のへロディアに相談しました。するとへロディアは、「洗礼者ヨハネの首を。」と娘に告げたのです。娘はヘロデのところに戻ると、母親に言われたとおり、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます。」と願いました。何とも刺激的な言葉です。へロディアの、ヨハネへの憎しみの深さには恐ろしいものを感じます。人は、自分のしたことが間違っていると指摘されると、ここまでの憎しみを抱くものなのかと思わされます。へロディアにしてみれば、自分のプライドも傷つけられたということでもあったでしょう。しかし、これは多かれ少なかれ、誰でも身に覚えがあることでもありましょう。そしてまた、平然と「首を盆に載せていただきとうございます。」と言った、この少女の心の闇の深さも思います。

5.人の前に生きるヘロデ
 問題は、この時のヘロデの対応です。「何をバカなことを言っているのか。」で済ますことも出来たと思います。しかし、そうはしなかったのです。26節「王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。」とあります。何と愚かなことでしょう。ヘロデは客の手前、この願いを退けなかったというのです。客の手前です。招いた客に何と思われるか。そのことを思うと、この願いを退けたくなかったのです。彼は「ヘロデの口約束は当てにならない。」と言われることを恐れたのでしょうか。そうではないと思います。「ヘロデはヨハネを恐れている。」そう思われたくなかったということなのではないでしょうか。自分は領主だ。何も恐れるものはないのだ。自分がこのガリラヤで一番偉いし、力もある。そのことを示したかったということなのでありましょう。
 まことに愚かなことです。先程、ヘロデは悔い改めに遠くないと申しました。確かに遠くなかったと思います。しかし、悔い改めるためには、一歩を踏み出さなければならない。その一歩を、ヘロデは踏み出せなかったのです。そして、そうしている内に、へロディアの策略によって、逆の一歩、神様の御心を退けるという一歩を踏み出してしまったのです。ここで注目すべきは、「客の手前」という言葉です。ヘロデは人の目、人の評価というもので自分の一歩を決めてしまったということなのです。一方、ヨハネは神様の御前に立ち続けました。人の目を気にして人の前で生きるのか、神様の目を考えて神様の御前に生きるのか。悔い改めるとは、この「誰の前に生きるのか」という所において、決定的な転換を求めるものなのです。私共は誰の前に生きるのか。人の前か、神の前か。それが問われるのです。
 もちろん、私共はこの世に生きているのですから、人の目など全く気にしないということはあり得ませんし、神の御前に生きているのだからと、傍若無人に生きても良いということでもありません。しかし、人の目を気にして神様の御心に反することも行ってしまうということが、悔い改めた者の歩みでないことは明らかでありましょう。悔い改めるとは、何よりも神様の御前に生きる者となるということなのです。ヘロデは、その一歩を踏み出せなかったということなのです。そして、それ故に主イエスの話を聞いて「ヨハネが生き返った」のだと思い、恐れ、怯えなければならなかったのです。

6.主イエスの十字架の死と結ばれて
 さて、洗礼者ヨハネは、王の娘の踊りの褒美という、まことにくだらない理由で殺されることになってしまいました。何とも痛ましいことであります。しかしこのことは、主イエス・キリストの十字架を指し示しているのです。イエス様もまた、祭司長や律法学者たちの妬みのために十字架につけられたのですし、ピラトはイエス様を十字架に架けないで済むようにしたいと思いましたが、「十字架につけよ。」と叫ぶ人々の声に押されて、ヘロデと同じように、まさに人々の手前、十字架につけることを決めたのでした。ヨハネの死も、主イエスの死も、人間の罪の故でした。神様は、ヨハネの死も、イエス様の死も、お止めにはなりませんでした。神様は何もしない、そのようにも見えます。しかし、そうなのでしょうか。愚かな人間の、罪にまみれた、憎しみや妬みの結果もたらされた死です。しかし、そのヨハネの死は主イエス・キリストの十字架の死と一つにされ、永遠の命へとつながっているのです。私共は、天の御国において、きっと洗礼者ヨハネとも相見えることでしょう。
 神様の御前に生きた者の命が無駄に失われるなどということはあり得ないのです。神様の御前に生きる私共にも、その命が備えられています。その希望を確かにしてくださるために、神様は聖餐を備えてくださったのです。ただ今から私共は聖餐に与ります。この聖餐は、悔い改めて神様の御前に生きる者とされた者が、やがて天において主イエスと共に与る食卓を指し示しています。今、共々に聖餐に与り、御国に向かって神様の御前に生きる者としての歩みを、いよいよ確かにしていただきたいと心から願うのであります。

[2014年7月6日]

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