富山鹿島町教会

礼拝説教

「先立ち給う我らの神」
出エジプト記 13章17〜22節
使徒言行録 16章6〜10節

小堀 康彦牧師

1.ゴールに向かって旅する神の民
 私共キリスト者は、イエス様の救いに与ることによって、はっきりしたゴールを目指して歩む者となった者です。私共の人生はゴールに向かっての歩みとなりました。そのゴールとは神の国、天の国です。イエス様が再び来られる時に完成する新しい世界です。私共の人生のゴールは、この肉体の終わり、つまり死ではないのです。世の人々は、「死んだら終わりだ。」と言います。しかし私共は、それでは終わらないと信じています。確かに、私共は肉体の死を避けることは出来ません。でも、それはすべての終わりでもなければ、私共の人生のゴールでもありません。何故なら、私共はイエス様の復活の命に与るからです。復活するからです。この救いの完成に向かって私共は生きるのです。キリストに似た者に変えられ、互いに愛し合い、仕え合う、まことに神様の御心のみが支配する世界。そこに向かって歩む者とされた。それがキリスト者です。
 このキリスト者の人生、ゴールに向かっての歩み、それは旧約の歴史の中にもモデルとして幾つも示されております。アブラハム・イサク・ヤコブそしてヨセフの歩みであり、神の民であるイスラエルの歴史そのものがそうでありますが、最も明らかな形で示されているのが出エジプトの出来事と言って良いでしょう。エジプトの地で奴隷だったイスラエルの人々が、モーセに率いられて約束の地カナンを目指す、四十年に及ぶ旅。この出エジプトの旅こそ、私共キリスト者の人生、そして歴史の中を旅する新しい神の民、教会の歩みを指し示しています。
 罪の奴隷であった私共がイエス様に救われ、約束の地である天の御国に向かって旅をする。出エジプトの旅も私共の人生も、ゴールは決まっているのです。神様によって約束された場所です。しかし、その途中で何があるかは分からない。色々なことがある。しかし、出エジプトの旅も、御国を目指しての私共の旅も、元のところに引き返すことは出来ません。引き返すとは、出エジプトにおいてはエジプトの奴隷に戻ることであり、私共キリスト者にとっては罪に支配される者に戻るということです。それは、約束の地へと導くために神様が為してくださったことをすべて無にすることです。私共キリスト者にとっては、イエス様の十字架と復活を無駄にするということです。これは、神様に対する、イエス様に対する、最も大きな裏切りとなるでしょう。ですから、私共はそれだけは出来ませんし、してはならないのです。私共の御国に向かっての旅は、休むことはあっても後戻りはしないのです。遅々とした歩みであったとしても、歩み続ける。それが私共の信仰生活というものです。休むことはある。でも後戻りはしない。目指すべきゴールを見失うことはない。そのために私共は、主の日の礼拝の度毎に御言葉を受け、目指すべきゴールをはっきりさせているのです。

2.エジプトを出発
 さて、今朝は月の最後の主の日ですので、旧約から御言葉を受けます。出エジプト記から順に御言葉を受けています。前回は過越の出来事の場面でした。今朝の御言葉には、出エジプトの出発の時のことが記されています。
 神様は、エジプトの奴隷であったイスラエルの人々の助けを求める叫びを聞き、アブラハム・イサク・ヤコブとの契約を思い起こされ、イスラエルの人々を約束の地カナンへと導き出すことを決められました。そして神様は、そのためにモーセとアロンをお選びになりました。モーセはアロンと共にエジプト王ファラオのもとに行き、イスラエルの民をエジプトから去らせるよう交渉します。しかし、ファラオがそれを簡単に受け入れるはずもなく、神様はそれ故、十の災いをエジプトに下されました。その最後の災いが過越の出来事でした。エジプト中の初子が、王の家から家畜に至るまですべての初子が撃たれたのです。そして、遂にファラオはイスラエルの民がエジプトから出て行くことを受け入れ、イスラエルの民はエジプトを出発いたします。
 今朝与えられております御言葉は、その出エジプトの旅、エジプトから約束の地を目指して旅立った時のことが記されています。今日はここから、四つのことを心に留めたいと思います。

3.神様は近道には導かれない
 第一に、神様は近道にはイスラエルの人々を導かれなかったということです。17節「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。」とあります。聖書の巻末にあります地図2『出エジプトの道』を開いてください。ラメセスから出発したイスラエルの民は約束の地を目指すわけですから、一番近いのはペリシテの海、現在の地中海ですが、その海沿いの道を行く道です。これがペリシテ街道です。この道は古くからの幹線道路です。この道を行けば、約束の地カナンは死海の北に当たる所ですから、おおよそ300kmくらいでしょうか。一日10km進んだとして一ヶ月で着きます。ところが、神様はその道へは導かれなかった。地図を見ますと、シナイ半島を南へと下って行く歩みをしたことが記されています。聖書はその理由を、「それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。」と記しています。
 近道を行けば、エジプト軍ともペリシテ軍とも戦わなければならなくなるということです。地図に「エジプトの川」という川がありますが、この川までがエジプト、そこから先はペリシテが支配している所でした。エジプトの力が強大になったり弱ったりして多少変わることがありますけれど、この川が古代エジプトの国境ということになっていました。ですから「エジプトの川」と言うわけです。ファラオは後でイスラエルの民を去らせたことを後悔して軍隊に追わせます。そのエジプト軍は葦の海の奇跡で海の藻屑となってしまうのですけれど、ペリシテ街道を行けば、エジプトの国境警備の軍もいるわけです。更に進んで行けば、ペリシテ軍が出て来る。そうすると戦いになるわけです。たとえイスラエルの民がそれを望まなかったとしても、そうなってしまう。
 この時のイスラエルの民の人数は、12章37節には「一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。」とあります。これに妻子が加わるわけですから、二百万人以上になるでしょう。もっとも、この数字をそのまま歴史的事実と考える必要は無いと思います。多くの学者は、これは出エジプト記が書かれた時代のイスラエルの民の数であって、出エジプトをした時の人数はこれより0が一つか二つ少なかっただろうと言います。それにしても大変な人数です。この人数が自分の領土を進んで来たら、無事には済まない。必ず戦いになる。
 イスラエルの民は昨日まで奴隷でした。ですから、命を賭けて戦うなんてことをするくらいなら、元の奴隷に戻った方が良いと考えるだろう。それで、神様はその道へは導かれなかったというのです。シナイ半島を南下する道は荒れ野です。人があまり住んでいない。だから戦いにはならない。それで、近道であるペリシテ街道ではなく、荒れ野の道へと迂回させられたというのです。つまり、近道を行かせなかったのは神様の配慮であったということです。神様は、イスラエルの民がちゃんと約束の地へ着くことが出来るようなプログラムを持っておられた。それは教育プログラムと言っても良いようなものです。
 どうでしょうか。私共の人生にもこの「神様の配慮の下での迂回、回り道」ということがあるのではないでしょうか。イエス様に出会うまでも、キリスト者の家に育ち若くしてキリスト者となった人もいれば、人生の晩年になってイエス様に出会った人もいるでしょう。キリスト者の家に育っても、信仰を与えられたのは人生の半ばを過ぎてからという人もいるでしょう。更に、キリスト者となってからも、信仰の歩みが確かなものとされるまで何年も、何十年もかかったという人もいるでしょう。私共の信仰者としての歩みは一人一人違います。その違いは、神様がその人その人に最も良い道を備えてくださっているからなのです。あんな苦しみになど遭いたくなかった。でもあの苦しみがなければ、イエス様に出会うこともなかった。そういう方もおられるでしょう。回り道、迷い道。それは神様の配慮の中で与えられている道なのです。もっと楽に、つまずくことなく順調に歩みたかった。でもそうならなかった。それは、私共が神の国へ至るために、神様が私共の弱さ、愚かさを見越して道を備えてくださるということです。私共は自分の弱さ、愚かさ、傲慢さ、罪というものがよく分からないのです。にもかかわらず、この道を選べば将来こうなるだろう、と勝手に見通しを立てる。しかし、そうはならない。それは失敗でも何でもありません。自分の見通し通りにならなかったということは、神様が働いてくださって、別の道へと導いてくださったということなのです。私共の人生を支配しているのは、私ではなくて神様だからです。神様は近道を選ばれないのです。私共をちゃんとゴールまで導くためにです。

4.神の「民」として旅をする
 第二に、イスラエルの人々の出エジプトの旅は、一人一人で為されたのではなくて、イスラエルの民、神の民としての旅だったということです。18節b「イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。」とあります。「隊伍を整えて」というのは、軍隊が隊列を組んで歩む姿をイメージして良いでしょう。つまり、イスラエルの民は一人一人が勝手に、ばらばらに約束の地に向かって旅立ったのではないということです。
 これは、私共にとっては教会を指していると考えて良いでしょう。私共はイエス様の救いに与り、神の国に向かっての旅を始めたわけですが、その旅は一人で続けるのではありません。洗礼を受けてこの教会のメンバーとなり、他のメンバーと一緒に神の国に向かっての旅をするのです。教会はどうでも良いのであって、自分の信仰、自分の信仰者としての歩みだけが大切なのだ、というような信仰のあり方は聖書にはありません。私が救われるのは、神の民の一員として救われるのです。神様は、神の民を救いの完成へと導かれるのです。神の民が救われるから、神の民の一員としての私が救われるということなのです。

5.約束を信じて
 第三に、神様の約束は必ず成る、そのことを信じて歩むということです。19節に「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」とあります。思い出しましょう。イスラエルの民がエジプトに住むようになったのは、ヤコブの息子であるヨセフが、兄弟たちによって売られてエジプトに来て、エジプトで宰相にまでなって、飢饉の時にヤコブとその家族をエジプトに招いたからでした。そして、エジプトでヤコブが死ぬと、ヤコブの息子たちは、ヤコブの亡骸をカナンの地まで運んで葬りました。やがて、ヨセフも死にます。ヨセフは、「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」(創世記50章25節)と言って死んだのです。ヨセフは、神様がイスラエルの人々を将来必ず約束の地カナンに連れ戻してくださる、そのことを信じてこのように語ったのです。ヨセフが死んだのはいつだったかというと、12章40節に「イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。」とありますから、約四百年もの間、イスラエルの民はヨセフの骨を守り、その日を待っていたということでありましょう。そうでなければ、四百年の間にヨセフの骨はどこかに無くなってしまっていたでしょう。しかし、そうではありませんでした。
 どんなに長い時間がかかっても神様の約束は成る、そのことを信じて歩むことを私共は教えられるのです。確かに、キリストの教会はやがてイエス様が来られるという約束を信じて待ってきましたし、今も待っています。それは、神様の御計画というものは、どんなに時間がかかっても必ず成るということを教えられているからです。神様の救いの御業というものを人間の時間感覚で捉えてはなりません。神様は天地を造られた方なのですから、「主のもとでは、一日は千日のようで、千日は一日のようです。」(ペトロの手紙二3章8節)とあるとおりです。イエス様は二千年経ってもまだ来られていない。それは、まだ二日しか経っていないということです。

6.神様と共にある、神様に導かれての旅
 第四に、この出エジプトの旅は、神様と共にある、神様に導かれての旅だったということです。21〜22節「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」とあります。主はイスラエルの民に先立って進み行かれます。イスラエルの民は、先立ち給う神様に導かれて旅を続けました。神様は、御自身がイスラエル民の歩みに先立っておられること、そしてイスラエルの民と共にあることを、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって示されました。この雲の柱・火の柱はエジプトを出発した時にだけ与えられたのではなくて、40年におよぶ出エジプトの旅の間中与えられたものでした。
 この雲の柱・火の柱は、私共キリスト者にとって、イエス・キリストというお方として与えられました。イエス様はインマヌエル、「神は我らと共におられる」と呼ばれるお方です。神様は、イエス様を私共に与えてくださって、私共と共にいてくださることを示してくださいました。更に神様は、主の日の度毎に御言葉を与え、私共が神の国というゴールを目指して歩む、その歩みを整えてくださいます。そして、必要とあれば、出来事をもって道を拓いてくださるのです。
 先程、使徒言行録16章6節以下をお読みいたしました。15章36節から始まりますパウロの第二次伝道旅行において、パウロは第一次伝道旅行で行った町々に再び行こうとしました。ところが、「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」と6節にあります。何があったのか具体的には分かりません。パウロは他の地方に行きましたが、そこでもダメでした。そして、パウロは幻を見ます。その幻の中でマケドニア人が、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください。」と言った(9節)のです。そこでパウロたちはマケドニア州に渡り、その州の都であるフィリピで伝道します。これが、ヨーロッパにイエス様の福音が初めて伝えられた時でした。この出来事は、イエス様の福音伝道という神の民の業が、実に聖霊なる神様の導きの中で為されて来たこと、為され続けていることを示しています。これは、出エジプトの旅における雲の柱・火の柱と同じです。
 神様は、時に雲の柱・火の柱を用い、時に聖霊による妨げを用い、時に幻を用いて導かれます。神様は、その時、その人、その時代、その状況によって用いるものを変えながら、神の民と共にあり、神の民に先立って道を拓き、導いてくださいます。それは確かなことです。神の民は、この共におられる神様、先立ち給う神様に導かれることがなければ、何も出来ないし、一歩も先に進めないのです。出エジプト記40章36〜37節に「雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。」とあります。イスラエルの民は、自分たちで旅の日程を組んで旅をしたのではないのです。旅のコースも日程も、神様だけが御存知なのです。
 そしてまた、33章9節「モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。」とあります。神様はモーセに語り、その御心を示し、イスラエルの民を導かれたのです。雲の柱は、神様が御言葉をもってイスラエルの民を導き続けたことも示しています。それは今も変わりません。私共は主の日の度毎にここに集い、御言葉に与ります。そして、御言葉に与るたびに、私共は神様が共におられ、私共に先立ち給うことを知らされ、私共の行くべきゴール、約束の地に向かっての旅をしていることを心に刻むのです。
 私共の信仰は、目に見える何かを与えられたり、願いが叶えられたりするためのものではありません。そうではなくて、私共がどこから来てどこへ行く者であるかをはっきり示され、その歩みを確かなものとされるものなのです。今週一週間、それぞれ生かされている場は違いますが、その場こそが主が共に居てくださるところなのですから、御国に向かっての一週間の旅であることを心に刻みつつ、その場において自分が為すべきことに励んで参りたいと思います。

[2017年1月29日]

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