富山鹿島町教会

礼拝説教

「神様の養いに生きる神の民」
出エジプト記 16章1〜22節
ヨハネによる福音書 6章48〜58節

小堀 康彦牧師

1.神の国に向かっての一年の歩み
 今朝私共は、2016年度最後の主の日の礼拝をささげております。礼拝の後で2017年度教会総会に向けて長老会が開かれます。そこでは、2016年度の歩みを振り返りつつ、2017年度の計画が検討されます。毎年この時期になりますと一年間にあった様々なことを思い起こすのですけれど、毎年思わされますことは、毎週このようにここに集い、一度も欠けることなく御言葉が与えられ続けたことへの感謝です。当たり前のことではありますけれど、御言葉が与えられ続けることの幸いを改めて思うのです。この当たり前のことの中に、神様の愛と憐れみとがはっきりと示されています。このことへの感謝抜きに、一年の歩みを振り返ることは出来ません。そして、このことをしっかり受け止める時、私共のこの一年の歩みが神の国に向かっての歩みであったことが分かるのだと思います。私共は、目の前のことに対応することで忙しく毎日を過ごしてきたかもしれません。しかし、それは神の国に向かっての、イエス様が再び来られる日に向かっての、一年の歩みであったということです。

2.エジプトからの脱出と約束の地への旅
 今朝は三月最後の主の日でありますので、旧約の出エジプト記から御言葉を受けてまいります。前回2月26日の主の日には14章の、新共同訳では「葦の海の奇跡」となっている、旧約の中で最も有名な出来事、海の水が左右に分かれて道が出来、イスラエルの民がその道を通ってエジプト軍から逃れる、そしてエジプト軍はイスラエルの民を追って海の藻屑となってしまったという所から御言葉を受けました。この出来事を境に、イスラエルのエジプトから脱出するという歩みは終わりました。もうエジプト軍は追ってこないのです。そしてここから、いよいよ約束の地に向かっての旅が始まります。
 出エジプトの出来事は、エジプトからの脱出という面と、約束の地への旅という二つの面があります。自由には「○○からの自由」と「○○への自由」とがあります。たとえ○○から自由になっても、自分を縛るものから自由になっても、それだけではまだ本当の自由にならないのです。本当の自由は、自分が何者になるのか、そこが確立されていかなければなりません。それを○○への自由と言っても良いでしょう。子どもが成長する時も、親の束縛から自由になるだけではダメでしょう。そこから自立した人になっていかなければ本当の自由にはなりません。
 イスラエルの民はエジプトの奴隷の状態からは自由になりました。しかし、ここから神の民になっていく、その歩みが始まるのです。

3.不平>
 今朝与えられております16章はマナの奇跡が記されておりますが、14章の葦の海の奇跡と16章のマナの奇跡の間、15章にはアロンの姉である女預言者ミリアムによって歌われた賛美が記されております。イスラエルの民は葦の海の奇跡の後、歌って踊って喜びました。神様をほめたたえたのです。しかし、その後三日間、イスラエルの民は水不足に苦しみます。やっと得た水は苦くて飲めない。そして、モーセに向かって不平を言うのです。「何を飲んだらよいのか。」この不平に対して神様はモーセに一本の木を示し、その木を水に投げ込むと水は甘くなり、イスラエルの民は水を飲むことが出来たということが記されています。そして16章です。
 イスラエルの民は荒れ野に入るとすぐに不平を言います。3節「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」この言葉は、14章においてモーセに対して不平を言った言葉とほとんど同じです。14章11〜12節「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」とあります。
 ここで私共は少し驚くのではないでしょうか。イスラエルの民はあの絶体絶命のピンチ、前は海、後ろはエジプト軍という状況の中、海の水が左右に分かれて道が開かれるという奇跡をもって助けられたのです。それを喜び、神様に感謝したのです。更に、水がなくなれば水が与えられるという経験もしているのです。もっと言えば、エジプトを脱出するまでも十の奇跡を経験し、過越の出来事も経験してきたのです。それにもかかわらず、食べ物が不足すると不平を言い始めるのです。何と身勝手な、何と忘れやすい、何と感謝することを知らない民なのか。そう思われないでしょうか。彼らがこの不平を言った時、1節に「それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。」とあります。第一の月の十四日が過越の出来事ですから、あれからまだ一ヶ月しか経っていないのです。このたった一ヶ月の間に、葦の海の奇跡をはじめ、次々と驚くべき神様の奇跡を経験した。そうでありながら、彼らは食べ物が不足すると不平を言い始めたのです。
 この16章には「不平」という言葉が何度も出てきます。2節、7節と8節に2回ずつ、9節、12節、計6回です。イスラエルの民はモーセとアロンに向かって不平を言っているようですが、本当は神様に言っているのです。8節d「あなたたちは我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ。」とモーセが言っている通りです。このイスラエルの民のあり様を示す良い言葉があります。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。どんなに神様の奇跡を経験してもすぐに忘れてしまう、そして困難を前にすると神様に不平を言う。これが神の民イスラエルの初めの姿でした。勿論、奇跡そのものを忘れたわけではないでしょう。しかし、その時の感動、喜び、感謝、そして何よりも神様に対しての信頼、それを忘れてしまったのです。
 私はこの姿に、自分の信仰の歩みを見る思いがいたします。イエス様の救いに与った、救われた、その喜び。この方と共に歩んでいこうという志。それが洗礼を受けた時には確かにあった。しかし、本当に辛い苦しい出来事に遭いますと、こんな苦しみに遭わせる神様なんて要らない、神様を信じても何も良いことなんてないじゃないか、そんな不平を言い出した若い頃の自分を思い出すのです。どうしてあの時、私は教会に行くのをやめなかったのだろう。今でも不思議に思います。一つは、教会学校の教師をしていたからです。子どもたちが待っていますので、教会には行き続けた。でも、説教を聞いても何も心に届きませんでした。そんな私が伝道者になって30年、このように毎週講壇に立ち続けている。まことにありがたいことです。

4.神様の愛による養い
 この不平を言うイスラエルの民に対して神様は、「お前はまだ分からないのか。そんな者は要らない。約束の地などお前にはもうない。この荒れ野で野垂れ死んでしまえ。」とは言われないのです。4〜5節「主はモーセに言われた。『見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。』」パンだけではありません。肉も与えてくださったのです。うずらの肉です。しかも、35節を見ますと、「イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで四十年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。」とありますように、この天からのパン、マナは一回だけ与えられたのではなくて、イスラエルの民が約束の地に入るまで四十年にわたって与えられ続けたのです。
 どうして神様は、このように不信仰で不平ばかり言うイスラエルを赦し、驚くべき奇跡をもって養い続け、終末の地へ導き続けられるのでしょうか。それは、神様がそういうお方だからとしか言いようがありません。神様はイスラエルが、私共が、そのような者であることをよくよく御存知なのです。そして、愛してくださっている。
 イスラエルの民は、信仰深い立派な民だから神様に愛され、神の民とされ、救いの恵みに与ったのではありません。不平ばかり言っているのですから、それは明らかでしょう。しかし、愛された。愛し通された。その理由は強いて言えば、神様がアブラハムと契約されたからです。申命記7章6〜8節「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」とある通りです。私共もそうです。私共が神の民とされたのは、信仰深い立派な人だからではありません。神様がイエス様の十字架の故に、私共を赦す、私共を神の子とする、私共を救うとお決めになったからです。だから、不平ばかり言うような私共をも赦し続け、神の国へと導き続けてくださっているのです。
 神様は、ただの罪人に過ぎないイスラエルの民が、そして私共が、神の民となっていくには時間がかかり、訓練が必要なこともよく御存知なのです。神様がこの出エジプトの40年の旅の間イスラエルの民をマナで養い続けたのは、神の民は神様の養いによって生きるということを徹底して学ばせるためでした。
 それは、イエス様が与えてくださった祈りである主の祈り、「我らの日用の糧を今日も与え給え。」という祈りに生きる民へと造り上げるためだったと言っても良いでしょう。イスラエルの民は40年の間マナによって養われ生かされて約束の地への旅を続けた。その事実によって、自分たちが神様の養いの中で生かされているということを、決して否定出来ないあり方で心に刻み込まれたのです。

5.今日も明日も、そして安息日も
 今日お読みしました所の直後に記されているのですが、マナは翌日まで残しておくことは出来ないものなのに、翌日まで残しておいた人がいたのです。そのマナは臭くなってしまいました。マナは毎朝、その日に必要な分だけ集めなくてはなりませんでした。翌日まで残しておく、その心は分かります。明日のことが心配だからです。しかし神様は、その明日のことを心配する心を退け、神様に信頼する民へと訓練され続けました。それが40年間マナを与え続けることによって、神様が為そうとされたことなのです。主の養いに生きるということは、今日のことだけではなくて、明日も明後日も主の養いの中に自分は生かされる、その神様への信頼に生きるということです。この神様の信頼に生きる民、それが神の民なのです。
 そして神様は、六日目、つまり安息日の前の日ですが、その日は二倍のマナ、二日分のマナを集め、調理して蓄えておくようにと言われました。安息日はマナを集めなくて良いし、集めてはならないのです。ところが、やっぱり安息日にも集めに出かける者がいたのです。でも、マナは見つかりませんでした。安息日にも集める方が安心だと思ってしまう。しかし、そんな必要はない。それはしてはいけない。神様の養いに生きるのだから。安息日は神様への感謝と賛美と祈りを捧げる日。それを守ることが神の民の歩みなのだということを教えられたのです。

6.神様の養いとしてイエス様を食べて
 さて、神の国に向かって歩む私共にとってのマナは何でしょうか。先程お読みいたしましたヨハネによる福音書6章48節において、イエス様は「わたしは命のパンである。」と告げられました。イエス様御自身が私共の命のパンなのです。私共はイエス様を食べ、イエス様の命に与って、神の国への旅を続けます。イエス様を食べるとは、神の言葉そのものであるイエス様を食べるということであり、それは神の言葉を食べるということです。聞く言葉としての説教と、見える御言葉としての聖餐とに与るということです。このことによって、私共は神様の養いを受け、神の国への旅を続けていくのです。私共は主の日のたびにここに集まって礼拝を捧げていますが、それは神の国への一週間の旅に必要な糧を与えられるため、イエス様を食べるためなのです。説教を聞いて聖書が分かる。それも必要なことでしょうが、何よりもイエス様を食べる、イエス様と一つにされる、そのことこそ主の日の礼拝において私共が目指すことなのです。
 私共は、この養いがなければ生きられない、神の国への旅を健やかに続けることが出来ないのです。この養いの中に生きないと、いつの間にか、自分の力で生きているように思い始め、自分の人生が神の国に向かっての歩みであるということさえ忘れてしまう。それが私共なのです。忘れやすいのはイスラエルの民だけではありません。私共自身、実に忘れやすいのです。困難が目の前に迫れば、「どうしてこんなことになるのか。」とつぶやき始めるのです。神様の養いの中に生かされていることを、すぐに忘れてしまうのです。情けないほどです。

7.記憶する民として
 しかし、神様は私共が実に忘れやすい者であることを御存知です。そして、神の民である教会もまた、自分たちが忘れやすい民であることを自覚しておりました。それ故、神の民は、記憶する、思い起こす、忘れない、ということを何より大切なこととしてきたのです。その具体的な営みとして、毎年神様の救いの出来事を記念して祭りを行うことにしました。クリスマス、イースター、ペンテコステはそういう祭りです。教会の祭りは、記憶する、思い起こす、忘れないための営みなのです。
 そして、その営みは何よりも主の日の礼拝において為され続けてきました。先程、私が若い時に信仰から離れそうになった時のことを申し上げました。その時私はどうして立ち直ることが出来たのか。それは単純なことです。主の日の礼拝に集い続けたからです。説教を聞いても少しも心に届かない。「なにが神様だ。」そんな思いで説教を聞いても、少しも心に届かないのは当たり前です。心の扉を閉じたままなのですから。しかし、主の日の礼拝には集い続けました。そして半年も経った頃でしょうか、或いはもっともっと短かったかもしれません。説教の中で告げられた一言、「神様はあなたの幸せのためにおられるのではない。」という言葉が心に刺さりました。それまで私は、キリスト者になり、真面目な教会員として歩んでいるのだから、神様は自分に良いことしかしない。そう思い込んでいました。言うなれば、神様は私を幸いにする義務がある、私を幸いにするのが神様の役目だくらいに思っていたのです。意識していたわけではありませんでしたけれど、心の底でそう思っていた。だから、苦しいことがあると、話が違うといって不平を言い、神様から顔を背けていました。自分をこんな目に遭わせる神様なんて要らない。そう思いました。しかし神様は、荒れ野に入って食べ物がなくなると不平を言ったイスラエルの民を、見捨てるどころかマナをもって養い続けらたように、私にも御言葉をもって臨んでくださったのです。私の信仰の根本的あり方を正すように、「神様はあなたの幸せのためにおられるのではない。」とお告げになりました。そして、「わたしはあなたのために独り子を十字架に付けた。それでも、あなたはまだわたしの愛を信じることが出来ないのか。」と迫られたのです。私は思い起こしました。イエス様の十字架の御姿を思い起こしました。そして、自らの罪を悔いた日のことを思い起こし、再び信仰を回復させていただきました。22歳の時のことです。
 神様は、私共に必要な肉の糧も霊の糧も与え続けてくださいます。私共が御国に入るまで、この神様の養いがなくなることはありません。だから、思いわずらうことはありません。たとえ、この肉体の命が閉じられたとしても、私共は約束の地、天の御国に行くことになっているのですから、何も心配することはありません。安んじて、2017年度の新しい歩みへと歩み出してまいりましょう。

[2017年3月26日]

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