富山鹿島町教会

礼拝説教

「神の民の編成」
出エジプト記 18章12〜27節
使徒言行録 6章1〜7節

小堀 康彦牧師

1.神の民の歩みの原型としての出エジプト
 今日は六月の最後の主の日ですので、旧約の出エジプト記から御言葉を受けてまいります。神の民イスラエルの出エジプトの旅は、エジプトにおける奴隷の状態から約束の地カナンまでの四十年に及ぶ荒れ野の旅でした。この旅は、その後のキリストの教会が神の国に向かう旅、或いは神の民であるキリスト者の人生を指し示す、神の民の歩みの原型となりました。神様が共にいてくださって道を拓き、様々な奇跡をもって必要を満たし、約束の地へと導いてくださる。しかしその歩みは、何の苦労も困難もない、というようなものではありませんでした。他の民との戦いがあり、水や食料がないこともありました。イスラエルの民の中で不平や不満が爆発する時もありました。神の民であるにもかかわらず、主なる神様以外の偶像に心を寄せる時もありました。旅を続けるのはもう無理だと思われることが何度もありました。しかし神様は、その度に御言葉を与え、出来事を起こし、神の民を訓練して、約束の地まで導かれました。私共がこの出エジプト記から学ぶことは、まさにこのことなのです。地上の教会の歩みはいつでも問題や課題があります。私共の人生もそうです。何の問題も課題もない人生なんてありません。しかし、私共は神の民です。神様が共にいてくださって道を拓き、必要のすべてを備え、必ず約束の地、神の国へと導いてくださる。そのことを私共は信じるのですし、事実、その神様の御手の中で生かされ、守られ、支えられています。この神様の恵みの証人として、教会も私共も立てられているのでしょう。何の苦労もない人生も教会の歩みもありません。問題も課題もある。しかし、神様は私共と共にいてくださって、憐れみの御手をもって私共を守り、導いてくださっている。私共はそこに心もまなざしも向けるようにと、主の日の度毎に御言葉を受けるのです。

2.アマレクとの戦いにて
 さて、前回は17章8節以下、イスラエルがアマレクと戦って勝利した個所から御言葉を受けました。ヨシュアに率いられたイスラエルがアマレクと戦い、モーセが祈って、神様によって勝利が与えられました。このアマレクとの戦いが、イスラエルの、出エジプトの旅における初めての戦いでした。この戦いにおいて、イスラエルは多くのことを学んだのではないかと思います。
 第一には、モーセの祈りによって神様が働いてくださって勝利したわけですから、祈りが重要であることを学んだでしょう。神の民イスラエルは祈りと共にある民だということを学んだ。しかし、それだけではなくて、神の民は一つの組織とならなければならないことも学んだのではないでしょうか。イスラエルの民はエジプトにおいては奴隷だったわけです。奴隷というのは、いつでも自分を支配している者に従わなければなりません。自分たちで考え、目標を定め、一つになって行動するということは許されません。ですから、イスラエルの民全体して規律ある行動をするという訓練はされていませんでした。しかし、このアマレクとの戦いにおいて、イスラエルの民は一つになって行動することの必要性を学んだのではないでしょうか。そうしなければ、外から敵が攻めてきた時に戦うことが出来ないからです。今回は、ヨシュアがアマレクと戦える男性を選び、ヨシュアの指揮の下でアマレクと戦いました。しかし、それは急ごしらえの応急処置でした。

3.神の民の組織化
 今朝与えられております18章13節以下の所で、モーセが、しゅうとエトロの助言に従って千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長をイスラエルの民の上に立て、これによって民を組織化したということが記されています。私は、この組織化の一つの背景、動機として、アマレクとの戦いがあったのではないか、そう思うのです。
 神の民が歴史の中を歩んでいく時、どうしてもこの組織化するということが必要になってきます。無秩序な、ただ集まっているだけというような神の民は歴史の中では存在しません。神の民はいつの時代でも、地球上のどの地域においても、制度を持ち、具体的な秩序を持つ民でありました。その最初の組織化がここに記されていることです。どうして、そのように組織化し、秩序を持つのか。その一つのはっきりした理由は、外からの敵と戦うためです。この場合はアマレクという目に見える敵でした。しかし、神の民の敵はいつも目に見えるものとは限りません。罪を罪と思わない、神様無しでも生きていける、大切なのは頼りになるお金だ、などと考えるこの世の風潮も神の民の強大な敵でしょう。この風潮に流されてしまえば、神の民は自らが何者であり、どこに向かって歩む者なのかを見失ってしまいます。神の民は御国に着くまで、目に見える敵、目に見えない敵と戦って勝利していかなければなりません。だから、どうしても組織化する必要があったということではないかと思うのです。私共の信仰は自分一人で頑張って守っていく、そういうものではないのです。神の民の一人として、共に戦い、共に励まし、共に支え合い、一つになって御国に向かって歩んでいく。それが神の民なのです。

4.モーセのしゅうと、エトロへの伝道
 さて、アマレクとの戦いが終わり、モーセのしゅうと、ミディアンの祭司であるエトロが、モーセの妻であるチッポラと二人の息子、ゲルショムとエリエゼルを連れてやって来ました。モーセは、エジプトで奴隷であったヘブライ人の子として生まれながら、エジプトの王女のもとで育ちました。しかし、成人して、ヘブライ人がエジプト人に打たれている所を見て、そのエジプト人を打ち殺してしまいました。彼はお尋ね者となり、エジプトから逃げ出し、ミディアンの地に行きます。そこで、ミディアンの祭司エトロの娘、チッポラと結婚し、子どもも与えられました。このまま羊を飼ってのんびり生活するかと思っていた時に神様からの召命を受けて、再びエジプトに戻り、イスラエルをエジプトから導き出すという役割を神様から与えられました。モーセはチッポラたちを連れてエジプトに戻りましたが、ファラオとの対決が厳しくなる中で、チッポラたちを実家のあるミディアンの地に帰しておりました。その家族がしゅうとエトロに連れられて、モーセのもとに来たのです。エトロは、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルのことを風の噂で聞いていたと思います。もう大丈夫だろう。そんな思いで、エトロはモーセの妻チッポラと二人の息子をモーセのもとに連れてきたのでしょう。
 実は、このエトロが最初の異邦人改宗者と言われています。8〜11節「モーセはしゅうとに、主がイスラエルのためファラオとエジプトに対してなされたすべてのこと、すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したが、主が彼らを救い出されたことを語り聞かせると、エトロは、主がイスラエルをエジプト人の手から救い出し、彼らに恵みを与えられたことを喜んで、言った。『主をたたえよ、主はあなたたちをエジプト人の手から、ファラオの手から救い出された。主はエジプト人のもとから民を救い出された。今、わたしは知った、彼らがイスラエルに向かって高慢にふるまったときにも、主はすべての神々にまさって偉大であったことを。』」とありますが、11節の「今、わたしは知った」というのは何を知ったのかと言いますと、「イスラエルの神である主こそ、まことの神であるということを知った」という意味なのです。つまり、この言葉はエトロの信仰告白となっているのです。モーセは自分のしゅうとに、神様が出エジプトの旅の中で、またそれに至るまでに何をしてくださったかを語った。そして、エトロはそれを聞いて、主なる神をまことの神として知った、受け入れたということです。
 ここに、聖書が記す最初の異邦人伝道、家族伝道の姿を見ることも出来るでしょう。エトロは祭司とありますから、他の宗教を信じていた人と見て良いでしょう。しかし、モーセが語る神様の御業に心が動いたのです。家族伝道というのは理屈ではないということを改めて教えられます。神様が自分にしてくださったことを告げること、証しをすること、これが家族伝道の要なのでしょう。それは家族伝道に限らず、伝道とはそういうものなのです。神様は私に何をしてくださったのか、神様の生きて働かれた出来事を語るのです。私共は神様の御業の証言者として語るのです。

5.イスラエルの組織化の理由
 さて、モーセのしゅうとエトロは、モーセがやっていることを見て、17節「あなたのやり方は良くない。」そうはっきり言いました。エトロは何を見たかといいますと、モーセが朝から晩までイスラエルの民の間で起きた事件を裁いている姿でした。何万人、何十万人というイスラエルの民の裁きをモーセが一人でしていた。ですから、モーセは朝から晩までやっているのですが、やってもやっても追いつかない。そして、民もモーセの裁きを待ってひたすら並んでいる。朝から晩まで民は待ち続けている。そういう状態でした。エトロが助言したのは、21〜22節「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。」ということでした。つまり、イスラエルの民を十人隊長、五十人隊長、百人隊長、千人隊長を置くことによって組織化し、平素は彼らに民を裁かせる。多分、まず十人隊長の所で、それでダメなら五十人隊長の所で、それでもダメなら百人隊長の所で、そんな具合に、問題の大きさによって裁かれる所、訴える所を変えていったのでしょう。モーセは重大な問題だけを裁くことにしました。確かにこれによってモーセの負担は少なくなります。モーセは働き過ぎによる過労死にならないで済んだのです。そして、訴え出る民も朝から晩まで待っていなくても良くなったわけです。
 しかし、ここではっきりさせておかなければいけないことは、この組織化によってモーセの負担もイスラエルの民の負担も少なくなったわけですが、このモーセの負担を少なくしたのは何のためだったかということです。これは、何のための組織化なのかということでもあります。エトロはこう言います。19〜20節「わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。」ここが大切な所です。ここにはモーセの本来の務めが示されています。それは、王・祭司・預言者の務めです。「あなたが民に代わって神の前に立って」執り成しをする。これが祭司としての務めです。そして、「掟と指示を示し、彼らの歩むべき道となすべき事を教える」これが預言者の務めです。そして、「大きな事件があったときだけ」裁く。それが王の務めです。これらのモーセの本来の務めを為すことが出来るようにするために組織化されたということです。ただ、楽になろう、そういうために組織化されたのではないのです。

6.王・祭司・預言者の務めを担う者として
 モーセの時代の後、この王・祭司・預言者の職務は一人が担うのではなくて、細分化されていきます。王・祭司・預言者、それぞれに人が立てられるようになります。しかし、再び一人の人にこの王・祭司・預言者の職務が担われることになる。それが主イエス・キリストです。イエス様こそ、まことの王・まことの祭司・まことの預言者でありました。モーセは、王・祭司・預言者の務めを担う者として、イエス様を指し示しています。
 このことは先程お読みしました使徒言行録6章の始めの所に記されておりますように、初代教会において、日々の分配のこと、これは食事に関することであったと考えられますが、このことでトラブルが起きた。その時使徒たちは、2節「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。」と言って、七人を選んで立てた。これが教会の執事が生まれた最初の出来事であったと言われています。
 モーセによって為された組織化にしても、初代教会が執事を立てた時にしても、神の民として本当にやらなければならないことは何なのか、そのことを為すために組織が作られ、制度が作られたということです。
 私共の教会は長老制度の伝統に立つ教会です。この長老制度というのは、牧師と信徒から選ばれた長老によって長老会が組織され、その長老会の決定、指導によって教会が歩んでいくという制度です。それは、イエス様の持っていた王・祭司・預言者の務めを担っていくための制度、神の民に託された務めを担うための制度なのです。それは、神の民として、御言葉を受け、御言葉に従い、御言葉を宣べ伝えていくための制度であり、この世の風潮に流されることなく、神様の福音を保持し、宣べ伝えていくための制度だということです。

7.モーセの自由
 この時、モーセはしゅうとであるエトロの助言を受け入れました。私は今日の説教の備えをしていて、このことに一番驚きました。これは本当にすごいことだと思うのです。エトロはミディアンの祭司でありましたが、昨日モーセから神様の御業を聞いて信じたばかりの人です。エトロの助言に対して、「あなたはイスラエルのことを何も分かっていない。わたしたちのやり方はこういうものなのだ。わたしは大変だけれど、これが神様からわたしに与えられた務めなのだから、あなたは黙っていてください。放って置いてください。」モーセはそう言うことも出来たでしょう。私共はしばしば、そのようにして他の人の意見を退けるものです。しかし、モーセはそうではありませんでした。エトロが自分の妻の父だったから。それもあるかもしれません。しかし、それ以上に、モーセ自身、自分が本当に為さなければならないことを自覚しており、その務めを全うするためにはそうすることが良いと考えたからでしょう。この本当にしなければならないことを弁えた時、私共は本当に自由になれるのではないでしょうか。
 私共は普通、今までやってきたことをそのままやることには抵抗ありません。しかし、少しでも変えようとすると心理的に様々な抵抗が生じるものです。教会でも同じです。しかし、私共は何をするために立てられているのか、どこを目指して歩んでいるのか、自分たちは何者なのか、そのことさえはっきりしているならば、私共はどんどん変わっていって良いのです。時代も、教会の状況も、変わっていくのです。そこで、どのようなあり方が一番良いのか。そのことをいつも考え、実行するために、牧師も長老会も執事会も立てられているのでしょう。ここで「一番良い」というのは、どうやれば一番うまくいくかということではありません。そうではなくて、どうやれば神様に託されている務めを全う出来るかということです。神様の御委託に応えていけるかということです。

8.こんなもんじゃない
 それは、私共の日々の信仰生活についても同じです。信仰生活が長くなると、どこかで「信仰生活とはこんなものだ。」「教会とはこんなものだ。」というように、分かった気がするものです。しかし、私はいつも思うのです。「こんなもんじゃない。」私が「こんなもんじゃない。」と思うのは、御国を見るからです。私共の救いの完成した姿を思うからです。死人の中から復活させられた神様の力を思うからです。「こんなもんじゃない。」のです。私共はいよいよ神様の再創造の力に与り、イエス様に似た者へと変えられていきます。教会はキリストの体として、いよいよ、ここに神様がおられるとの告白へと人々を導くことが出来るように変えられていきます。「こんなものだ。」というのは、神様の愛と力を、教会を、信仰を、侮っているのでしょう。私共は、この天と地を造られ、今も生きて働き給うお方、私共を救うために愛する独り子さえ十字架にお架けになったお方を証しするために立てられているのですから。ですから「こんなもんじゃない。」のです。

[2017年6月25日]

メッセージ へもどる。