富山鹿島町教会

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第四章←「キリスト教とは何か」

キリスト教とは何か

第五章

牧師 藤掛 順一


5.キリスト教と日本

 キリスト教という家の中を駆け足で見てきましたが、私達にとって大きな問題となることは、この家は西洋の家であって日本の伝統的な家ではない、だからこの家での生活は私達日本人には所詮合わないのではないか、ということです。確かにキリスト教は西洋から伝えられたものです。私達プロテスタント教会の日本における伝道は、始められてからまだ百年と少ししか経っていません。そういう意味ではこれは、まだ日本にはなじんでいない、外来の家であると言えるかもしれません。この家での生活を一つの習俗、習慣として捉えるならば、そう言わなければならないでしょう。然し、キリスト教信仰は、西洋的な生活様式をすることとは関係ありません。大事なことは、私達のために十字架にかかって死んで下さり、よみがえって死に打ち勝つ希望の礎となって下さった主イエス・キリストと共に生きることです。私達は、西洋人になろうとしているのではなくて、日本人として、主イエス・キリストと共に生きようとしているのです。日本人が、本当に喜びと希望をもって日本人として生きるための道がイエス・キリストにある、と信じているのです。私達は、西洋人にならなくても、キリスト教という家で生活することができるのです。キリスト教という家は、西洋人のための家ではなくて、全世界の人々のための家なのです。現に今や、世界のキリスト教徒の中で、いわゆる第三世界に住む人の割合が、西洋人の割合よりも多くなってきています。この家には、全世界の人々のための沢山の入口があるのです。その中には勿論、私達日本人のための入口もあるのです。

「キリスト教でないもの」を見分けよう
 私達のまわりには、キリスト教と名乗っていても、実はキリスト教とは全く違う教えを説いている「キリスト教系新興宗教」がいくつかあります。最後に、それについて指摘しておきましょう。これらのものを、キリスト教と混同しないようにしていただきたいのです。
◎「エホバの証人(ものみの塔)」
 この人々は、イエス・キリストが神の独り子、即ちまことの神であることを否定しています。それを否定したら、もはや「キリスト教」ではありません。この団体は、聖書を非常に偏った仕方で読んでいます。それゆえに、「輸血の拒否」などという非人道的なことが「聖書の教え」として説かれるのです。
◎「統一協会(統一原理)」
 この団体は、イエス・キリストによる救いが不十分であったと主張し、それを完成させる「救い主」として、韓国の「文鮮明」を教祖としています。イエス・キリストが救い主として不完全であったとするのは、もはや「キリスト教」ではありません。また、この団体と、「霊感商法」「インチキ募金」「集団結婚式」等の反社会的活動との関係も明らかです。嘘をついて金儲けをすることとキリスト教は相入れません。
◎「モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)」
 この団体の教えの特徴は、聖書と並んで「モルモン経」を信仰の規範とすることです。事実上は、「モルモン経」の方が聖書よりも大事にされています。聖書以外のものを規範とするのは、やはり「キリスト教」ではありません。
 これらの、キリスト教を名乗りながら、実は全く違う教えを説いているものと、本物のキリスト教とは、何によって見分けることができるのでしょうか。本物のキリスト教は、カトリックもプロテスタントも、「基本信条」というものを信仰の基準としています。それは、キリスト教の二千年の歴史の中で生み出された、その信仰の基本をまとめたいくつかの文章です。その代表的なものは、「使徒信条」(「日本基督教団信仰告白」の後半の部分)です。礼拝でこれを告白している教会も多いことでしょう。これを受け入れているものであれば、本物のキリスト教と考えてよいのです。

おわりに
 「キリスト教とは何か」について駆け足で述べてきましたが、もう紙数も尽きました。このパンフレットひとつで「キリスト教」について語り尽くせるものでないことは言うまでもありません。「伝道パンフレット」の他の巻をもぜひお読み下さい。そして何よりも、具体的なひとつの教会に通って、そこであなたの体全体で、キリスト教を体験して下さい。そこには必ず、真実の喜びがあります。人生の秘訣があります。この小冊子が一つのきっかけとなって、あなたと主イエス・キリストとの、すばらしい出会いと交わりが、教会において起ることを願いつつ、筆を置きます。

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