富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第7回

1.「ライオンと魔女」(6)

 牧師 藤掛順一


 スーザンとルーシィはアスランの遺体にすがって泣いていました。その姿はイエス・キリストの埋葬を見届けた女性たちの姿を思わしめられます。そこに、野ネズミの群れがやって来て、アスランを縛りあげていた縄をかみ切ります。明け方になり、泣き疲れた二人が暖まるために歩いていくと、突然後ろで「巨人が岩をたたき割ったような」ものすごい音がしました。二人が石舞台に戻ってみると、石舞台の板が、まっぷたつに割れており、アスランの遺体はなくなっていました。ルーシィは「ああ、ひどすぎる。アスランのからだぐらい、かまわないでおいたって、よさそうなものなのに」と言います。スーザンが「では、だれがしたの?どういうことなの?もとの魔法がつづいてるの?」と言うと、二人の後ろから「そうだよ!もとの魔法のつづきだよ」という大きな声が響き、振り返るとそこに、よみがえったアスランが立っていたのです。
 このアスラン復活の場面において、「もとの魔法のつづき」という言葉が非常に大事な働きをしています。ただ、このように訳すのがよいかどうか、少し疑問があります。原文においては、スーザンの言葉は「Is it more magic?」であり、アスランの答えは「Yes!It is more magic.」なのです。このmoreには「まだ魔法が続いている」という意味も確かに込められています。その意味では「もとの魔法の続き」と訳すことができます。しかしそこにはさらに、「より以上の魔法」という意味があると思います。そういう意味ではこれは、「もとの魔法の続き」ではなくて、「もとの魔法を越える魔法」なのです。アスランが、自分の復活について説明する次の文章も、そういう意味を表わしています。
 「魔女はたしかに、古いもとの魔法を知ってはいたが、あれの知らない、もう一つもとの、もっと古い魔法のおきてがあったのだ。魔女の知るのは、ただこの世のはじまりどまりだった。だが、もう少しさきを見通して、この世がはじまる前の、静けさとやみをつぶさにのぞんでおったなら、さらにちがったまじないが読みとれたはずだ。あの女は、なんの裏切りもおかさない者が進んでいけにえとなって、裏切り者のかわりに殺された時、おきての石板はくだけ、死はふりだしにもどってしまうという、古いさだめを知らなかった。」
 ここで「もとの」と訳されているのは「deep(深い)」という言葉ですし、「もう一つもとの、もっと古い」と訳されているのは「deeper(より深い)」という言葉です。魔女が知らなかった、世の始まり以前からの、より深い魔法によって、アスランはよみがえったのです。
 この「魔法」の意味は、前にも書きましたように、「この世界の基本的秩序、掟」というようなことです。世の始めからの深い魔法(掟)においては、裏切り者、罪人は殺されなければならないのです。それはパウロの言うところの、律法において働く「罪と死の法則」(ローマの信徒への手紙8・2)です。それに対して、世の始めより前からのより深い魔法とは、天地を造られた父なる神のみ心です。そのみ心においては、罪のない者が罪人の身代りになって死んだなら、その死はふりだしに戻る、つまり罪人の罪を背負って死ぬ罪のない贖い主によみがえりが与えられるのです。この父なる神様のみ心が、「罪と死の法則」を越えて働いているのです。「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(ローマの信徒への手紙 第八章一〜二節)。
 魔女が知っていたのは、この世の始まり以降の魔法でした。それ以前の「静けさと闇」の中にあった魔法を魔女は知らなかったのです。そのわけは第六巻「魔術師のおい」において明らかになるのですが、このことはさらに深い意味を持っています。それはつまり、「罪が支払う報酬は死です」という掟は世の始まりよりの根本的真理だけれども、神の恵みのみ心、み子イエス・キリストの死による罪の贖いの恵みは、それよりもさらに古い、より深いものだ、ということです。神様は天地創造に先立って、この恵みのみ心を抱いておられたのです。つまりこの世は、み子の十字架の死による罪の赦しを与えるという神様の恵みのみ心の内に創造されたのです。人間が罪を犯したために、それを解決するために神様がみ子を遣わす決心をなさったのではありません。キリストによる贖いの恵みは、天地創造に先立つものなのです。ヨハネによる福音書の第一章の冒頭の、「言」すなわち主イエスによって万物が成ったという箇所や、「(神は)御子によって世界を創造されました」(ヘブライ人への手紙第一章二節)という箇所は、そのことを語っていると言えるでしょう。そしてそれは、罪と死の力に対する神の根源的優越性、勝利を語っています。分かりやすく言えば、罪と死とに対する神の勝利は世界が始まる前から確定しているのです。しかしその勝利は、み子イエス・キリストの十字架の苦しみと死を通して実現するものでした。魔女の勝利と思えるアスランの死を通してこそ、世の始まる前からのより深い魔法が明らかになる、ということには、このような意味があるのです。
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