富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第44回

6.「魔術師のおい」(9)

 牧師 藤掛順一


 「あなたはナルニアの王となる」とアスランに言われた馬車屋は、自分は学問のない男だからそんなことには向きませんと言いました。
「なるほど、」とアスラン。「しかしあなたはすきを使ってたがやし、土地から食物を育てあげることはできよう?」「へえ、そういった仕事なら、少しはできますだ。そうするように育てられたようなもんで。」「あなたはこの生きものたちが、あなたの生まれた世界のものいわぬけものたちのようにどれいではなく、ものいうけものであり、とらわれぬ民であることを忘れず、かれらを親切に、また公平におさめてやることができるかね?」「気をつけて、そういたしますだ。」と馬車屋はこたえました。「だれにもみんな公平にするように心がけますだ。」「してあなたは、子どもたちや孫たちも同じことを心がけるように育てあげてくれるかね?」「おらの義務としてそうつとめますだ。一生けんめいやってみますだ、な、ネリー?(これが奥さんの名前です)」「してあなたは、あなたがたの子どものなかでも、ほかの生きものたちのなかでも、えこひいきをせず、だれかがほかの者にえばりちらしたりこき使ったりしないようにしてくれるかね?」「おらはそういったことにはがまんがならねえたちで、それはほんとでごぜえますだ。もしそんなことをしてるところを見つけましたら、こらしめてやるつもりですだ。」と馬車屋はいいました。「して、もし敵がこの国に攻めてきて(なぜなら敵はいつかはきっと現れるだろうから)戦さがおこったら、あなたは先頭に立って突撃し、しりぞく時にはしんがりをつとめることができるだろうかな?」「さあて、」と馬車屋はとてもゆっくりいいました。「人間は、その時がきてためされるまでは、まことにはわからないもんでごぜえます。おらもひょっとしたらそんな弱虫にならねえともいえましねえ。しかしおらのこの両こぶしを使わねえ戦いはいっさいしねえつもりです。とにかく、できるかぎりやってみますだ―いや、やってみてえとねがってますだ。」「それなら、」とアスラン。「あなたは王としてなすべきことをことごとくなしとげることになろう。」ここにも、ルイスの「王」についての考え方が示されています。
 ディゴリーはアスランのこれらの言葉を聞きながら、ナルニアに魔女を連れ込んでしまった自分はもう、願っていたお母さんの病気を直すものを手に入れることはできないと絶望の思いにとらわれていました。アスランは次にディゴリーに「アダムのむすこよ。あんたは、わがうましき国ナルニアのほかならぬその誕生の日に、あんたがおかしてしまったあやまちを進んでつぐなう気もちがあるかな?」と尋ねました。彼は「はい」と答えましたが、お母さんのことを思うと涙があふれ、思わずこう言いました。「でも、どうか、どうかおねがいです―あのお―おかあさんの病気をなおすようなものをくださいませんか―いただけませんか?」そう言ってアスランの顔を見上げたディゴリーは、アスランの目に大つぶの涙が浮かんでいるのを見ました。「わが子よ、わが子よ」とアスランはいいました。「わたしにはわかっている。悲しみというものは偉大なものだ。この国ではまだ、それを知る者はあんたとわたししかいない。わたしたちはおたがいに力になろう。しかしわたしは、これから先何千年にもわたるナルニアの未来を考えなければならぬ。あんたがこの世界につれてきた魔女は、ふたたびナルニアにもどってくるだろう。しかし今すぐというわけではない。わたしの願いは、ナルニアに魔女が近づくことをおそれる、ある一本の木を植えること。そうすればその木が、これからさき長い年月の間、ナルニアを魔女から守ることになろう。そしてこの国は、いつか雲が太陽をおおう時がこようとも、それまでに長い、輝かしい朝を楽しむことができるだろう。あんたは、わたしのために、その木におい育つ種をとってきてくれなければならぬ。」
ディゴリーの悲しみを知っており、「悲しみというものは偉大なものだ」(Grief is great.)と言うアスラン。それはイザヤ書53章3節の「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた(口語訳)」、He was despised and rejected by men; a man of sorrows, and acquainted with grief.(RSV)という「苦難の僕」によって預言されているイエス・キリストのお姿です。キリストは、悲しみの何たるかを知っておられ、悲しむ私たちを深く憐れんで、共に涙を流して下さるのです。
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